悔の字、激の字、懼の字は、好字面に非ず。然れども一志を以て之れを率いれば、則ち皆善を為すの幾なり。自省せざるべけんや。〔耋二〇〕
(悔やむ、激する、懼れるといった字は、その字面はいいものではない。しかし、ひとたび志を立ててこれらを率いていけば、皆、善を行うきっかけとなるものである(つまり、過去の過ちを悔やみ改め、激しく奮起し、自分の身を懼れ慎むことになる)。自ら省みることが大事である。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
自省でこそ成熟する
壮年期までは、自分の体力や得た知識をもとに突っ走ることも往々にしてあります。
その方が満足感も高まり、また良い成果を上げることもあるでしょう。
しかし中年期に入ると、自らを人として成熟させる方向に軸を置くことが必要ではないでしょうか。
先日、経済界で著名な人(60歳代後半)が法に触れる行為を行ったため、自分がトップを務める大会社および各種団体の要職を辞することになりました。
この事件からしても、壮年期における言動や知人関係から早めに脱し、“自ら”を創っていく方向に舵を切るべきだったのだろうと感じます。
自省 - 自分を省みること
良かったこと
悪かったこと
全てについて
思いを馳せる
“ 悔 ”
~ やっておけば良かった
やらなければ良かった ~
多くの場合、計画が無いか、あっても甘かったことが原因なのでしょう。
意志、予測、計画が重要。
“ 激 ”
~ 乱暴に扱った
他者を非難した ~
感情が前に出た結果。
感情は、コントロールしなければ暴走します。
感情を抑制すること、意志・意思で対処すること。
“ 懼 ”
~ 保身のために妥協した
正論を発せず吞み込んだ ~
自分の身はかわいいものです。
しかし、だからといって妥協するのなら、言いなりになるのなら、自分の存在意義とは、生まれ出でた理由とは何か。
通さなければいけないことは、通すべき。
ただし、それには工夫が必要です。
生而無貴者
習修成智徳
〝 生まれながらにして貴き者は無し
習い修して智徳と成る 〟
(意訳:聖人や君子として生まれてくる人はいない。
生きていく中で、師から教わり、自らを修めることで、智恵や徳を得るのである)
<原文出所:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
自分自身との対話で
生き方の軸を定めておかねば
ただ単に浮遊する
埃のような存在になるだけ