子曰わく、述べて作らず、信じて古を好む。竊に我が老彭に比す。〔述而第七〕
(先師が言われた。
「私は、古聖の道を伝えるだけで、自らの新説は立てず、疑うことなく古聖の教を好む。そうしてひそかに、私が尊敬する老彭(殷の賢大夫)になぞらえているのである」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
宮本武蔵
彼は戦いのとき
何を考えていたのでしょうか
勝てば殺、負ければ死、などではなかったようです。
殺し合いなので、ここで死ぬことになったらどうしようなどと考えることも当然あるでしょう。
しかし、そうではなかったとのこと
私に表現する資格があるかどうかは甚だ疑問ですが、剣の道で修養し、習得した通りの動きをしたということ、これ以外にはなかったのではないでしょうか。
何も考えず、傍から見れば集中して、真剣に戦っているように見えるでしょう。
しかし本人はおそらく無であったはず
生の際を往く人にとって
勝とうが負けようが
言い換えれば
生き延びようが
そこで死のうが
結果など考えない
心の中は戦いの世界のみ
不安、迷い、恐れ
それらを克服しようと
努める思いさえ無い
誰しもが、いわゆる無の境地で、知りたいこと、達成したいこと、それらに向かってまっしぐらに走ったことや行動したことがあるはずです。
ただ
まっしぐらに
幼い頃は何にでも興味をもって知りたがり、少年時代は例えばスポーツで一瞬のチャンスにゴールを決めようと、思春期には恋、勉学、しかし社会に出ればうまくいかないことが多いと感じ、徐々にそんな勇気は薄れていくもの。
そして同時に
うまく行かない経験から
学びを重ねます
人生も半ばを越えれば
迷いも少なくなってきます
いまその年代になったからこそ
敢えてまっしぐらに進みたい
多くを学んだかのような
陳腐なお飾りなど付けず
長い年月
多くの批評や批判に耐え抜いた
先人の尊い知恵
それをただ純粋に後世に伝える
孔子の思いはこのようなものだったのでしょうか
私たちも行きましょう
ただまっしぐらに
命がけなどというレベルではなく
ただまっしぐらに