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COLUMNSブログ「論語と算盤」

心の絆

2025年7月18日

こうわく、ひろたみほどこして、しゅうすくらば如何いかんじんうべきか。のたまわく、なんぞ仁をこととせん。必ずやせいか。堯舜ぎょうしゅん猶諸なおこれめり。仁者じんしゃは、おのれたんとほっして人を立て、己たっせんと欲して人を達す。ちかたとえを取る。仁のみちと謂うべきのみ。〔雍也第六〕

(子貢が尋ねた。

「若し博く恵みを施して民衆を救う者があれば、どうでしょう。仁者というべきでしょうか」

 先師が答えられた。

「仁者どころではないよ。必ずそれは聖人であろう。然しそれは、堯、舜でも常に心をいためられた。仁者は、自分が立とうと思えば先に人を立て、自分がのびようと思えば先に人をのばすように、日常の生活に於て行う。これが仁を実践する手近な方法だ」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

人を救う

 

それは聖人

 

 

 

 今日の言葉にある、恵みを施すといのは、ややもすると金銭的な施しのことかと感じます。

 

しかし、そう難しく考える必要はありません。

 

仏教の教えでは、「無財の七施」として、お金を持っていなくてもできる七つの施しが示されています。

 

がん ・・・温かい眼差しで相手を見る

がん・・・やさしく穏やかな笑顔で接する

ごん辞施じせ・・・やさしい言葉で話しかける

しん ・・・荷物を持ってあげるなど、身体を使う施し

しん ・・・やさしく思いやりのある心での施し

しょう座施ざせ・・・席を譲ってあげる

房舎ぼうじゃ・・・雨風をしのげる場所を与えてあげる

 

 

今日の言葉にも通じます

 

 

自分よりも他者を優先して

 良い状態にしてあげること

 

 

一人ひとりが

このような心掛けで他者に接すれば

それだけで世界は平和になるでしょう

 

 

 

しかし現在、全くそうはなっていません。

 

いにしえの世も同じだったのではないかと思われますが、今日の言葉のように、聖人、君子、仁者をうやまい修養を積む人の割合は、今よりもずっと多かったでしょう。

 

 

現代では、耳に入ってくるほとんどの言葉が表面的です。

 

じっ一絡ひとからげ、最大公約数的な表現、テレビやSNS、政治家の演説など、聞いていて心に染み入る言葉は皆無です。

 

多くの人は単なる活字として、聞き流していることでしょう。

 

 

 

ある小学生が登校時に何度も吐いてしまう場合

 

医学的には

特に朝は交感神経が十分に働かないので

胃腸が不調を起していると判断するそうです

 

他方

 心理学的には

  母親から成績を上げるよう

   毎朝プレッシャーをかけられ

それがストレスになっている

 それが原因であると見抜くそうです

 

 

現代医学は

前例をそのまま当てはめる

十把一絡げな対応

 

 

心理学は

 個々人の状態を捉えて

  固有の原因を見出そうとする対応

 

 

 

どちらが望ましいか

 

 

 

 

他者と接する時には、決して表面的なもので終わらせたくないものです。

 

心の深い部分でつながり、心の琴線きんせんに触れるような思いやりを込めたい

 

 

 

 

一人ひとりが

「無財の七施」を実践していく

 

巷に溢れる

表面的で心の通わない言葉や情報に

振り回されることなく

 

心の深いレベルで手を取り合い

協力し合う姿こそが

本来の絆であるはず