無能の知は是れ瞑想にして、無知の能は是れ妄動なり。学者宜しく仮景を認めて、以て真景と做すこと勿るべし。〔耋一一〕
(実践を伴わない知識は妄想というものであり、知識の裏づけのない実践は妄動である。学問をする者は心眼をひらいて、仮のありさまを本物と見なしてはならない。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
知識だけでは何の役にも立たないということは明らかです。
実践してこそ世の役に立つのです。
実践とは
自らの外の世界における
様々な出来事
それに接しあるいはぶつかり
そして協力しあるいは突破していくこと
と言えるでしょう
この実践の裏付けに知識が必要になります。
知識を動員しながら実践するのですが、この両者は同時進行でなければなりません。
知識を準備して積み上げてから実践に移っても、外の世界は想定外の複雑さです。
けんもほろろ
期待した成果は得られないでしょう。
それとは反対に、知識を準備せずに実践に取り組んだら、外の世界に翻弄されてあたふたする一方、何らかの知恵を得ることがあるものです。
このような知恵は、奏効すれば事を成し遂げられますが、往々にしてその場限りの効力でしかありません。
それは、普遍的かつ不変的な知識が根本にないためです。
知恵とは
知識をベースにした実践
そこから見出した
効果的な考え、言動、手法
と言えるでしょう
知識をベースにしていないのなら、それは単なる思い付きや些細な偶然でしかありません。
知識とは
日々の言動において
実践することの裏付け
あるいは支えとなる
自らが有する知の体系
と言えます
知識は常に実践に相伴うものであり、単独で存在しても意味をなすことは少ないでしょう。
実践と同時的に活用するものであることから、コンピュータやインターネット上に大事に保管していても、適時適切に用いることはできません。
より良く生きるには
知識を習得して整理整頓し
日々の実践において活用し
知恵にまで昇華させること
これの繰り返しになるでしょう
基盤となる知識として
最も大事なもの
それは〝 人間学 〟の知識
間違いないことでしょう