政を為すには、先づ世教を扶持するを以て主と為す。上に在る者、一擧措の間にして、世教の隆汚、風俗の美悪、焉に係る。若し大體如何を着せずして、一時の偏見を執れば、一事は未だ得ずと為さずと雖も、而も風化の傷はるる所は甚だ大なり。是れを常を亂るの政と謂ふ、先王は之を慎む。〔治道〕
(政を行う上に一番の先決問題は世の中に教というものを扶け持って失わぬようにすることである。それは上に在る者のちょっとした動作、行動のいかんによるのであって、世教の盛んになるか汚れ衰えるか、風俗の良くなるか悪くなるかは、結局これによって決まる。
もし大体(全体)のいかんをつかまないで、一時の偏見を固執すると、ある事柄で取り得はあっても、風化(上・善教を垂れて自ら下の者を化すること)のそこなわれるところが甚だ大きい。そこで古の立派な天子は最もこれを慎んだのである。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
教
政にとって最も重要な要素
教を体現すべき人は、組織のトップです。
トップが仏教でいう “ 十悪 ” の片鱗を見せてしまうと、その組織の統制やその国の政は決してうまくいかないでしょう。
“ 十悪 ” とは、貪欲(貪り、欲張り)、瞋恚(怒り、憎しみ)、愚痴(ねたみ、怨み)、綺語(お世辞、おべっか)、両舌(二枚舌)、悪口(非難、中傷)、妄語(嘘、偽り)、殺生(生き物を殺す)、偸盗(泥棒、盗み)、邪淫(淫らな男女関係)という十の罪です。
これとは逆に、家庭、会社組織、政に関与する人たちにおいて大切にすべき教とは何でしょうか。
それは、我が国では、日本人の心に根差した教えになると思います。
例えば、仏教で修業の目的とされる〝 三学 〟や〝 八正道 〟が、儒教では論語で有名な〝 仁・義・礼・智・信 〟があげられるでしょう。
三学
戒学:三業と呼ばれる身口意の不善をなくすこと
定学:禅定(瞑想)で心を安静にすること
慧学:現象が生じる理法を知る智慧のこと
八正道
正見:正しいものの見方をする
正思惟:正しい考えを持つ
正語:正しい言葉遣い
正業:正しい行い、振る舞い
正命:正しい生活を送る
正精進:正しい努力、精進
正念:正しく教えを憶念(忘れない)する
正定:正しい禅定(瞑想)の修習
仁・義・礼・智・信
仁:他人を思いやる心
義:利欲にとらわれず、なすべきことをする、正義の実践
礼:上下関係で守るべき行為や振る舞い
智:知恵、道理を踏まえること
信:友情に厚い、真実を語る、約束を守る、誠実
特に、家庭のリーダーである父母に求められる心は四等、慈悲喜捨ではないでしょうか。
四等
慈:身近な他者の幸福を喜ぶ心
悲:身近な他者の不幸を憐み悲しむ心
喜:身近な他者の徳や正しい行いを喜ぶ心
捨:不徳を捨て、執着せず偏見のない平等な心
二人以上が集まれば、リーダーが生じます。
そのリーダーの振舞い如何によって、組織の盛衰が決まります。
ところで、全てが満点という風に評される人、こんな人はリーダー、トップとしてどうでしょうか。
多くの場合、あれもこれも身に付けて武装しようとした結果であることが多く、深みの無い、表面的で薄っぺらな人物であることがやがて露呈するものです。
日本という国に生まれた
我々の心の奥底に
ピーンと調和
呼応するような
一挙手一投足
そういう
本物の筋を持った人物こそ
この国に望まれる
リーダーであるはずです