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COLUMNSブログ「論語と算盤」

知恵と財

2025年6月17日

倉内財有朽 身内才無朽 雖積千両金 不如一日学 〔實語教〕

くらうちざいつること有り。うちさいは朽つること無し。千両のこがねを積むといえども、一日のがくにはしかず。

(意訳:金庫に溜めた財宝は無くなることがあるが、学んで身に付けた才、知恵はなくなることはない。千両の金といっても、一日の学びには敵わない)

<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>

 

 

 

 

財は使えば無くなります

 

盗まれても無くなります

 

 

 

さらに、以前も書きましたが、死んだら何の役にも立ちません。

 

しかし一方、才、知恵はいくら使っても無くなりませんし、盗まれて無くなることもありません。

 

 

 

 

なぜ人は、財の多さに魅了されるのでしょうか。

 

昔から、人々は黄金の美しさに心を奪われてきました。

 

美しいものをできるだけ多く自分の所有物としたい、というような欲なのでしょう。

 

 

つまり

財に自分の心が

振り回されているということ

 

この状態は

財と人の関係を考えたとき

“ 財が主 ” で “ 人が従 ” となっています

 

洋服や装飾品

住まいや自動車など

より目立つ物やきらびやかな物質を

多く持ちたいという欲に分別なく従う人々

 

もともと財に

興味のない人でも

宝くじを引き当てたり

事業で成功したりするなどで

一変してしまうことさえあります

 

 

 

財の魅力は恐いもの

 

 

でしょうか

 

 

 

いやそれよりも、人の心は弱いもの、という見立てが正しいでしょう。

 

 

 

 

人前でのマナー

 品のある振る舞い

  正しく美しい言葉遣いなど

   これらに特別の財は不要です

 

 

自らが学べば習得できます

 

 

学びたいという

 意欲さえ有るのなら

  さらなる偉大な知恵を

   身に付けることも可能です

 

 

いままでになかった

未知となる知恵さえ

習得できるかもしれません

 

 

 

一方で

財を求めることは

既存の物質に振り回されるだけ

 

 

“ 猿回しの猿 ”

お猿さんの方になりたいですか

 

 

 

 

欲にまみれる

哀れな人生は情けない

 

智恵を身に付け続け

自らが主となる日々の人生

 

それであってこそ

この世に生まれ出でた意味があるはず