子、南子を見る。子路説ばず。夫子之に矢いて曰わく、予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん。
(先師が南子に会われた。
子路は喜ばなかったので、先師は子路にちかうように言われた。
「私のやったことが道にはずれているとするならば、天はゆるしておかないだろう。天はゆるしておかないだろう)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
複雑な思惑が交錯する応対の場面です。
南子とは、美しい容姿の女性であり、衛国の霊公の夫人です。
しかし、結婚する前から交際していた美男子を宮廷に招いて通じるなど、品行が極めて良くない人物だったようです。
巷ではそのような淫行の噂が広がっていましたが、霊公はお構いなしで南子を寵愛し続けます。
南子は諸国に知られる孔子に関心を持ち、霊公の力を利用して自分の配下に位置づけようと、この面談を設定しました。
霊公に会う者は妃であるこの南子を通すことが必要であるというような理由をつけ、孔子を招いて、自分の手の平に乗せようと籠絡を試みます。
一方で孔子は、衛の霊公に対して政の助言をするなど名参謀として支えていましたが、夫人の南子について関心を持つようなことはありませんでした。
しかし、上記のような南子の勝手な理由によって、呼びつけられたのです。
孔子としては会う理由もないのですが、もし断ったら、当然ながら霊公の耳に入り、寵愛する南子を擁護しようと孔子を衛国から排除するかもしれません。
孔子はやむを得ず会うことにしたわけです。
孔子は、色香の誘惑に乗ることなく対応したようですが、これを聞いた猪突猛進型の弟子、子路が孔子に意見します。
白黒ハッキリさせたい子路は、どうして会うことにしたのかが釈然としません。
他方孔子は、衛国の政に関与し、理想的な国造りを行いたい、そのためには霊公との関係を良好に保っておきたいと考えたのでしょう。
これを策略と考えるのなら、南子との意味のない面談は断るべきだったでしょう。
そこで孔子は、自分の取った行動を天に問うているのです。
最後の言「天之を厭たん」が繰り返されているのは、自身としても迷いが拭えず、揺れ動く心情が表れているのかもしれません。
それからも霊公は、南子との頻繁な酒宴など娯楽を催すときには孔子を呼んでいたようです。
霊公としては孔子への親しみの気持ちの表れだったようですが、孔子としては堕落的な交際の場に呼ばれるのは面白くなかったに違いありません。
数年後に霊公は他界し、衛国では内紛が生じ、国内外を巻き込む紛争が起こっています。
そして孔子は衛国を離れることになりました。
南子に出会って、その色香にほだされた霊公
その霊公による政は、当初から衛国内に様々な混乱を生んでいました。
トップが仕事や業務に私的要素を持ち込んでしまう組織は早晩行き詰まりを見せます。
継続的な発展は望めないものです。
人生があるのは
私利のためだけではなく
公利のためであると
改めて考えさせられます