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COLUMNSブログ「論語と算盤」

知恵人

2025年6月5日

政を為すの道は、みださざるを以て安しと為し、取らざる以て與ふと為し、害せざるを以て利と為し、事無き所にるを以て廃れたるを興しやぶれたるを起すと為す。〔治道〕

まつりごとを行うの道は、いろいろ新しく手を打ってわずらわしくするようなことをしないのが一番安んずることであり、与えることよりも取らざるようにするのが真に与えることであり、利することよりも害せざるようにするのが本当に利することであり、改革しようといろいろ事を行うよりは何もしないようにするのが廃れたことを興しやぶれたことを起こすことになる。)

<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

 

 親が子を育てるというのは、少々危ない目にあったり失敗したりケガしたりしたときに、手取り足取りで面倒をみるのではなく、遠くから見守り本人が自力で乗り越えていける力を養わせることです。

 

何もかも親が口出ししていれば、子供の心と身体は成長しません。

 

これは、一人で生きる力を習得し、生命力を高めてさらには種を繫栄させるという、動物一般に通じる生命の根源的本能でしょう。

 

 

 

政治も同じではないでしょうか。

 

少々のことに目くじらを立てて些少な政策を打つといのは、教科書的で善良に映るかもしれませんが、結果、子育てと同様、得るものや成長はほとんど期待できません。

 

近年の日本では、国全体のビジョンなどの大きな議論はなされず、やれ補助だ助成だと、まさしく手取り足取りの施策中心になっています。

 

もちろん苦しい生活を余儀なくされている人々には確実に救いの手を差し伸べねばなりませんが、それなりの生活、1990年代に「中流」と言われたような生活の家庭において、高校や大学まで無償化するなどということは、いくらなんでもやり過ぎと感じます。

 

 

 

 

なぜこうなったのか

 

 

 

 政治は、その国の民を映し出す鏡です。

 

結局、こうしてしまったのは、その時代時代の大人たちということ。

 

政治家もそうですし、一般の人々にも十分な責任があるはずです。

 

 

 

事業がうまくいったら、人はそこに安住しようと考え、その既得権益を守ろうとします。

 

そのために政治への陳情やロビー活動も当然行うでしょう。

 

すると、政治という国家権力によって規制などの決まり事ができます。

 

これが積れば、新陳代謝が不活発となり、経済社会は停滞します。

 

 

一方で、人は好奇心も持っており、挑戦することも好むものです。

 

しかし、そのような野心は、規制的社会の中で既成化した者たちに潰されているようです。

 

もちろん、簡単に潰れてしまう側にも責任はあります。

 

 

 

 

安定したい

挑戦したい

相反する思いを持つ人の心

 

社会

国家を創り

進化させていくのは

本当に困難なこと

 

 

 

ただしこれからは

単に現象に詳しい “ 知識人 ” より

 

そのような知識を応用展開させて

新しい方向性や可能性を見出せる

知恵ちえびと

 

そういうリーダーが求められる

時代になることは間違いありません