玉不磨無光 無光為石瓦 人不学無智 無智為愚人 〔實語教〕
玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦とす。人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。
(意訳:宝石は磨いてこそ光を発す。宝石の原石であっても、光らないのなら石や瓦と変わりはない。
人もそれと同じで、学ばない人に知恵はなく、知恵が無ければ愚かな人となる。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
宝石は
磨き上げてこそ
美しい光を発すもの
それは人間も同じ
学んで知恵を付けることで〝 人 〟になっていくのでしょう。
学ばなければ “ 愚人 ” という別の種になってしまいます。
以前、ある会社の重役の人がこんな話をしていました。
“ 休日に自分の靴を磨いていたら、妻が「息子の靴も磨いてあげればいいのに」って言うから、「自分で磨かせりゃいいんだよ」って言ったんだ。そしたら、「だからあなたは駄目なのよ」だってさ。 ”
ここには、単なる夫婦のいがみ合いで終わらせられない教訓があると感じます。
〝 自分の帽子は自分の手で持つものだよ 〟
〔R.W.エマーソン(1803~1882)アメリカの文豪、思想家〕
〝 大統領も靴磨きも、同じく世のため人のために働くものだ。
世の中に卑しい仕事というものはないはずだ。
ただ心の卑しい人はいるものだがね 〟
(大統領が廊下の片隅で自分の靴を磨いていたことを咎めた秘書に対して)
〔A.リンカーン(1809~1865)アメリカ第十六代大統領〕
<出典ともに:『人生を創る言葉』渡部昇一著 致知出版社>
この夫婦の息子が自分で靴を磨かないのなら、愚人になってしまうかもしれません。
本人自身の意識、人生を学ぼうという姿勢があるかないかにかかっています。
京セラを創業した稲盛和夫氏(1932~2022)は、苦難と成功は相反するように見えて、実は両方とも人生における「試練」と言われます。
〝 苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては謙虚にして驕らず、さらに真摯に努力を重ねる。 〟
<出典:『稲盛和夫一日一言』稲盛和夫著 致知出版社>
苦難と成功
ともに天から与えられた試練
どう対処するかで
その後の人生は
天と地ほどに変わってしまう
とのこと
この言葉からの学びは、私一人で考えていても、思いつくことさえできないでしょう。
〝 学び 〟とは、先人から教わり、書物から教わることが大事だと感じます。
現代社会は、幸か不幸か、過去の戦争から得た学びや知恵が多く活用されています。
それはコンピュータ、物理学、経営学など多方面に及びます。
他方、順境とも言える平和な現代、例えば今の日本は、果たして学びが高まっているでしょうか。
否
人は
苦難や逆境
不幸なときにしか
学べないのでしょうか
順境のときこそ
学びを深められる
そういう〝 人 〟にならねばならないと
切に感じます
世の中の変遷に対し
受動的に生きることは
やむを得ないかもしれません
しかし
それに安住することは
愚人への一本道を歩むことです
自分を磨くこと
それは能動的に
人生を深く見つめていく姿勢です