苟くも柔の道を以て理む可くば、必ずしも悻直ならざるなり。苟くも無為を以て理む可くば、必ずしも多事ならざるなり。〔治道〕
(「いやしくも(実在・造化・人生の道である)変化に富んだ柔軟さを以て取り計ろうべきことに対しては、必ずしも偏狭に人の意見を聴かず、ただ正直であるというだけではいけない、単刀直入の一本調子ではいけない。いやしくも無為(作為のないこと)を以て取り計らうべきことであれば、できるだけ問題を少なくするようにやっていけばごたごたと多事にはならない」
人間は従ってとらわれてはいけません。自由に変化に富んでやっていく。それを創造的といい、クリエイティブというわけです。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
硬直的な思考や方法論では
発展は見込めません
例えば戦後の日本経済
全体主義や軍国主義などと呼ばれる社会体制は、敗戦によって消滅しました。
その後の日本人はまさに生きるために働きました。
国そして民間も、生きるため、さらにはもっと豊かに、という同じ思い、同じ願いの下、力をあわせて猛烈に働いたのです。
もちろん、欧米発の経済学や経営学の教科書どおりのこともやったでしょうが、アングロサクソンと日本人が実行するのでは、当然中身は違ってきます。
そこには取り組む人々のアイデアや工夫がプラスアルファとして散りばめられてきます。
未経験が故の、小さな創造やわずかなアイデアが大きな成果につながった事例も枚挙に暇がないと言って過言ではない状況だったのでしょう。
高度経済成長は
人が生きていこうとする
本源的な欲求が生み出した現象です
やがて、Japan as №1などと世界各国から認められ(恐れられ)ると、私たち日本人も「そうなのかな」と感じてしまいます。
そう感じた瞬間に、高度経済成長という歴史の幕が閉じたのです。
その後は成功体験に依存するだけになっていきます。
過去のやり方や行動基準を上塗りするような意志決定により、日本経済は発展のない “ 反復作業 ” に染まったのです。
成功の規模が大きいほど、覆すことが困難な前例が多くなります。
無機質で硬直的
そんな経済社会の到来
一方の経済大国アメリカは、小さな国の日本に経済力で敗北した憤まんを、やがてコンピュータ分野で吹き飛ばしていきました。
現在、コンピュータ分野での存在感は極めて大きくなっていますが、周知のとおり問題も数多く抱えています。
市場の独占、フェイク情報、思想の誘導、各種詐欺など、解決が求められる問題は山積しています。
ただし、経済の成長度合いが高いときは、日本や中国、その他諸国も同様に、公害や過重労働、差別や人権蹂躙など、似たような過ちがあったのも事実です。
これは人間の落ち度、愚かさであり、今後も新しい分野では発生しかねません。
しかしながら、硬直的で閉塞感の蔓延する社会では、一人ひとりの人間が本源的な欲求を追うことができません。
将来に夢や希望が持てず、結果少子化や経済的没落を生み出します。
物的な豊かさを横に置いたとしても、人心を豊かにすること自体ができないのです。
これからの日本のあり方を明確にし
国と民間がフラットな立場で
切磋琢磨し合い
協力し合う
そのような
全国民による創造力の発揮が期待されます