富是一生財 身滅即共滅 智是萬代財 命終即随行〔實語教〕
富は是一生の財、身滅すれば即ち共に滅す。智は是万代の財、命終れば即ち随いて行く。
(意訳:富は、自分が生きている間は価値があろうが、死んであの世に行けば何の価値もない。
一方で智恵は、子孫先々、万の代まで価値を生む。自分が死んでも受け継がれていく。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
わかりやすい格言です。
しかし、わかっていても、それを軸にした行動ができないという人が多いはずです。
富、財宝、つまりお金ですが、格好をつけて紳士ぶっても、心の中では誰もが欲しいと思っているでしょう。
そして誰もがわかっているつもりなのが、身に余るお金は自らを滅ぼしかねないということ。
大金を手にしたらロクなことはありません。
星がたくさん付くようなレストランに行き始め、明日はどこそこで遊んで、ディナーはあの店でと、まさしくお金に振り回される日々となってしまいます。
そしてそれは、決して自分の心を満たしてくれるものではありません。
浪費行為は麻薬のようで、やめられなくなってしまいます。
一度、月給くらいの大金を一晩で使い切ってみると良いのではないでしょうか。
普通なら、その経験で、享楽とは何と馬鹿げた、幼稚な行為であるかが認識できるでしょう。
ところで、金銭欲は年齢とともに減衰していくようです。
その減った欲の分は、どうやら後悔という思いが穴埋めするようです。
それは、“ もっと賢ければ、今とは違った良い人生を送れたのではないか ” というもの。
この〝 賢く 〟とは、学校の成績や資格など時務学の分野ではなく、〝 知恵 〟という人間学の領域です。
幼少からこの〝 知恵 〟を積み上げる習慣を身に付けていれば、金銭への執着は生涯を通じて薄れることでしょう。
では
〝 知恵 〟をつけて〝 賢く 〟生きる
その目的とは何でしょう?
これはまさしく人生のテーマです
国民教育の師父と謳われる在野の哲人、哲学者の森信三師は、人は全て神様から封書を渡されていると言われます。
その封書に、生きていく目的、テーマが記されているということです。
確かに、自分の意思でこの世に生まれた人は誰一人としていないでしょう。
天地創造の神によって、この世に生を与えられています。
すると、なぜこの私がこの世の生を与えられたのかという疑問が生じます。
神様からこの世に派遣された自分、何をすれば良いのか。
この答えこそ、その封書であり、自分が果たすべき使命、神様からの依頼が記されているのです。
封書から発せられる〝 気 〟に気付くのは、多くの場合、人生の節目であり、真剣に生きている日々であり、逆境に晒されたときなどでしょう。
その使命を果たすためには〝 知恵 〟が必要というわけです。
〝 知恵 〟を得るために必要なこと、森信三師は次のように語られています。
≪ 我われが知恵を身につけるには、優れた人生の師の言葉を傾聴すると同時に、できるだけ人生の知恵を含んだ生きた書物に接するほかないわけです。
しかし、結局は自分自らの人生の苦学というか逆境の試練によって、「血税」とも言うべき授業料を修め、「世の中」という生きた学校において、体をしぼって、身につけるよりほかないということです。 ≫
<出典:『人間学入門』藤尾秀昭監修 致知出版社>
萬代受け継がれる
人生の〝 知恵 〟
子孫のため
日本のため
人類のため
身につけて
残していきましょう