宰我問うて曰わく、仁者は之に告げて、井に仁ありと曰うと雖も、其れ之に從わんや。子曰わく、何爲れぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陷るべからざるなり。欺くべきも、罔うべからざるなり。
(宰我が尋ねた。
「仁者は、井戸に人が落ちこんだと知らされたら、すぐに行って井戸にはいるでしょうか」
先師が言われた。
「どうしてそのようにするであろうか。君子(宰我の言う仁者と同じ)は、井戸まで行かせることはできても、おとしいれることはできない。人情に訴えてだますことはできても、正しい判断力までくらませることはできないよ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
以前、爆発物を持った男が電車内に立てこもる事件がありました。
あなたがその場にいて、この犯人を認識したとき、どう行動しますか?
私は、チャンスをみてその犯人を捕らえようと考えます。
しかしその挑戦が裏目に出て、死者が出たり、そもそも自分が殺されたりしてしまったら…
名誉や評判が欲しくてやったわけでなくとも、“ 英雄になりたかったが失敗した ” と評されてしまうでしょう。
今日の言葉は、君子(仁者)はいかなる場面でも適切な判断を下すのだと、宰我の質問を孔子が一蹴する場面です。
前掲の電車内の事件であれば、まずは自分を含めた周囲の人々の安全を確保し、次にしかるべき役割を持った人々、例えば警察官などに委ねるというのが適切な判断となるでしょう。
実際、電車の遅延等の影響は出たものの、死者が出るような被害はなく、犯人は警察によって逮捕されました。
井戸の中に自分が飛び込んでも、落ちた人を助けることはできません。
ロープや梯子を用意させるなどの差配を行い、しかるべき人々と協力して引っ張り上げることが最善の策でしょう。
電車のケースでは、私の意思は適切な判断とはなっておらず、正義感が強すぎるのか拙速な行為とされるでしょう。
しかし、事件の場が飛行中の旅客機だったらどうでしょう。
しかるべき役割の人々を待っていては、全員の命が失われかねません。
穏やかな解決に収まるシナリオも考えられなくはないでしょうが、その可能性はどう見積もっても電車のケースと比較にならないほど低いものでしょう。
堤防で釣りをしている最中、子供が溺れているのを発見したらどうしますか?
ボートを用意したり泳ぎの達者な人を呼びに行ったりするような時間はなく、飛び込んで救助しなければ助からないでしょう。
飛び込みますか?
そもそも泳げますか?
衣服を着込んでいませんか?
(脱いで飛び込まないと自分が溺れます)
もとより、海は荒れていませんか?
(無謀な行為になりかねません)
様々な障害が存在していますし、成功の可能性も考慮しなくてはなりません。
その上で、適切な判断を下す必要があります。
そう言いながら、私は電車の事件で不適切とされそうな判断をしています。
私と同じ意見の人、まったく逆の人、適切な判断が取れる人、それらの中間など、色々な考え方があるでしょう。
意見を異にするアカの他人同士が、急な判断に迫られた時、協力し合うことは困難です。
最後は
当事者本人の
覚悟
価値観
判断基準
その他様々な要因
それは標準的な適切さでなく
一人ひとりの意思や意志に基づく
決断と実行に委ねられるのでしょう