物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。
(物事には必ず本と末、終りと始めがあるものである。そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きくはずれることはない。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
根本的な領域と結果としての現象
前者が〝 本 〟で後者が〝 末 〟
『大学』では、初回に紹介した「三綱領」と、これから紹介していく「八条目」を中核として構成されています。
「八条目」では、〝 本 〟と〝 末 〟が明確に示されます。
私たちが日常、会話したり行動したりする場合、根本を踏まえたものになっているでしょうか。
結果としての現象に気を取られすぎず、根本的な原因や理由について明確にしているでしょうか。
犯罪に目を向けると、その多くは、置かれた環境が原因となって生じているようです。
幼い頃、厳しい環境で育った子供は、成長するにつれ非行に走ることが多いようです。
成人の犯罪も、自分の置かれた環境あるいは周囲の状況を誤って解釈し、それを動機として犯行に及ぶことが多いように見受けられます。
どんな人、どんな年代でも、〝 徳 〟や〝 仁・義・礼・智・信 〟が心に根差していれば、犯罪を起こすまでには至らなかったのではないかと思われます。
もちろん、幼い子の場合には、育てる親や周囲の大人がそれを問われることになります。
そして学校教育においても〝 末 〟を重視し、〝 本 〟をおざなりにするようでは社会は良くなりません。
他人の言動に苦言を呈する人
その苦言は大抵の場合、表面的な現象を対象としています。
しかし、本質的な要因が不明である以上、軽々しくは口に出せないはず。
会社のやり方が気に入らないという人
そう思うのは、自分が損をするか、道理に合わないと感じているかとなるでしょう。
前者はわがままでしかなく、後者は戯言です。
営利企業は、利益のためならできることは何でもやるというのが宿命です。
限られた果実を奪い合う市場主義経済において、遠慮していれば自分がやられてしまいます。
どうすべきか判断付かず、躊躇して立ち止まってしまったのが、日本経済の失われた30年ではないでしょうか。
〝 本 〟を蔑ろにして、〝 末 〟ばかりを重視する “ 本末転倒 ” の社会に人々は混乱しています。
この〝 本 〟と〝 末 〟が秩序立てば、穏やかかつ精力的に日々を過ごせるのではないかと考えます。
住みやすく望ましい社会の実現のためにも、〝 本末 〟を知り、〝 道 〟に近づく思考と取り組みが必要です。
日本を
楽しい国にしよう
明るい国にしよう
国は小さいけれど
住みよい国にしよう
日本に生まれてきてよかったと
言えるような
国造りをしよう
これが二十一世紀の日本への
私の願いだ
(坂村真民)
<出典:『坂村真民一日一言』坂村真民著 致知出版社>