生を好み死を悪むは、即ち生気なり。形に牿するの念なり。生気已に徂けば、此の念を并せて亦徂く。故に天年を終うる者は、一死睡るが如し。〔晩二九一〕
(人が生きることを願い、死を嫌うのは、生きようとする気があるからである。これは身体という形にとらわれた考えである。生きる気力がなくなってしまえば、こうした身体にとらわれた考えもなくなってしまう。
それゆえに、天寿を全うした者は、死生にとらわれることなく眠るように死を迎えるのである。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
〝生きる〟ために
身体を第一とするか
精神を第一とするか
あなたはどうでしょうか
スポーツに優れた人の一部は、その分野を職業にすることで身を立てることでしょう。
そのような才能の無い私など凡人は、羨望するしかありません。
一方で、ある程度 “ 成功 ” したと評されても、心の中が荒んでいるという人は決して少なくありません。
身体のどこかが悪くなった時、それに思い悩み、ふさぎ込んでしまう人さえいます。
身体を本意に考えていると、精神面に暗闇が蔓延ってくるものです。
若い時期は調子になって勢いが増しますが、中高年、それ以降になると、自らの肉体の衰えや意欲の低下により、多くの人が活力を失ってしまいがちです。
青春期はどうだったでしょう
自らの好奇心をもとに身体を道具のように使い、これからどう生きていくかという意欲を持ち、いつまでも突っ走っていこうとする精神力があったはずです。
(もちろん、自身を肯定しづらい意識の人や積極的な思考でない人は違うでしょう)
その精神を持ち続けたいものです
しかしほとんどの場合、やがて勢いある考え方は色褪せて力尽き、自分は “ one of them ” でしかないと感じ始めます。
すると、必要以上に自分の身体や健康に関心を持ち始め、精神的な思考の世界から逸脱していきます。
こうなると、仁・義・礼・智・信との邂逅は期待できません。
多くの人が〝 青年よ大志を抱け 〟という言葉に心を刺激されたはずです。
しかし、その志を成長とともに高く大きく昇華させながら、死ぬまで抱き続ける人は稀です。
本年一月に還暦を迎えた私は、二万二千日近く生きてきたことになります。
そのほとんどの日々において〝 大志 〟を考えていなかったことに気付かされます。
浪費し
消費しただけの日々
まったくもって情けない
今日からの日々は
一瞬一瞬を意識し
大切に生きていく