疎狂の人は豪興多し。其の詩は雄なり。之を読めば人をして灑落ならしむ。懦を起すの功有り。清逸の人は芳興多し。其の詩は俊なり。之を読めば人を自愛せしむ。麤鄙の態を脱す。沈潜の人は幽興多し。其の詩は澹なり。之を読めば寂静ならしむ。深遠の思を動かす。冲澹の人は雅興多し。其の詩は老なり。之を読めば人をして平易ならしむ。童雅の気を消す。〔詞章〕
(疎狂の人は(疎はおおまか、狂はいわゆる思想家肌の意で、情熱的でやや興奮し易い人。エモーショナルあるいはもう少し高じたエキセントリックといった傾向の人)―情熱的で、興奮し易い人は豪放な遊びが多い。(酒を飲んでも陽気で大いに談論風発するとか、立って舞ったり高声で吟じたりする)そういう人の作る詩は雄壮である。これを読めば人をしてつまらぬ理屈だの情熱だのというようなものをさっぱり洗い落とさせる。懦(意気地がないためになまけること)を奮い起たせることができる。清くしてこだわりのない人は(例えば花や木を愛するとか詩や絵画を愛するとかいうように)香気のある興が多い。そういう人の詩は俗離れしておる。これを読めば人をしてわが身を愛せしめる。(そこで自分もこういう意境に融入したいという気が起こって)神経の粗い調子の低い態度を脱するることができる。
沈潜の人は思索的、内観的な人でがさつな人間の至り得ない奥深い感興が多い。こういう人の作る詩はあわい(今日の語でいえば泥がない)。これを読めば人をしてしーんと静かにさせる。自ら世俗を離れて深くて遠い思いを動かされる。冲澹な人は(冲はこだわりを離れる、高い所へ上る、澹はあわい)―世俗的なこだわりを離れた人は洗練されて感興が多い。そういう人の詩は練れておる。これを読めば人をしてやすらかならしめる。たわいもないような気が自ずからなくなってしまう。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
今日の言葉は
友としたい
貴い人物像が描かれています
疎狂の人
私は最も関心高く受け取っています。
情熱的で、何者にも邪魔されない伸びやかな振舞い
雄壮な心が詩や言葉に現れる
つまらないこと、些末なことはあっさりと洗い流してしまう
かくありたいと思います。
清逸の人
優雅な印象です。
言動は落ち着いており、穏やかな振る舞い
世俗離れした高貴な雰囲気で、自らを大切に扱う姿
横にいてくれれば、こちらの精神状態も整うように感じます。
沈潜の人
慎獨の姿
思いの領域は広く、長期的で遠大
ただし対応は細やかで、〝 いま、ここ 〟に対する配慮も深い
冲澹の人
洗練された感性、余分なものが削り取られたこだわりのない自然体
友を安らかにし、たわいもないような邪気を振り払ってくれる
それぞれを自分なりにイメージしてみると、それほど重視しないだろうと思っていた人物像にも、惹きつけられる魅力を感じます。
共通するのは、俗世間から離れた思考や振る舞いでしょう。
自分を創るとは
他者と適正に交際しながらも
決して迎合することなく
孤高をめざしていくこと
慎獨により
自分の生き方
在り方
生の姿
求めていきたいものです