下輩の言葉は助けて聞け。金は土中にある事分明〔直茂公御壁書〕
(下輩とは百姓、町人、下級の武士等々、殿様である直茂とは正反対の極に身を置いている人々である。これらの人々は生活の重荷を背負い、大地に足をつけて生きている。その切実な体験のなかにこそ、書物からでは学ぶことのできない「土中の金」、すなわち貴い真理がひそんでいるのである。
だが、こうした人々は生活半径がせまく、教育も受けてはいない。当然、ものの考え方は一面的であり、発表の仕方も拙劣である。だから、その言葉のなかから矛盾や弱点を見つけ出し、一笑に付してしまうことも簡単であろう。
こうして「土中の金」はそのままに捨てられてきたのである。
このような人々の言葉をきくときは、まずそのいおうとするところを察し、言葉の足りぬ点は補いながら、辛抱づよく真理をくみとろうとする態度が大切である。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
『葉隠』の紹介として、最後の言葉となります。
重要な教訓です。
後輩や部下、生徒、自分の子供など、年少者の言葉に対して、通常では重きを置かない傾向が強いでしょう。
ただし、このような人達が訴えてくる言葉には、往々にして切実な真実が含まれています。
よくよく耳を傾けて、一言一句を吟味し、拾い上げていくことが望まれます。
そして同時に、重要な言葉を抽出し、彼ら彼女らが見たもの、置かれた環境を想像することです。
会社組織であれば、それが新しい取り組み、技術革新や新製品開発につながるかもしれません。
相手が生徒や子供ならば、彼ら彼女らを成長させる糸口が見つかるかもしれません。
語る言葉全体を文章化して受け止めてしまうと、真実が隠されます。
諭そうとしたり、諫めようとしたり、アドバイスしたり、単純に共感したりしても、真実は見えません。
全てを聞いて、相手の心情からその状況を体感し、眺めてみて、何が生じているかを把握するのです。
〝 土中の金 〟に気付き、拾い上げて真理を学ぶこと
〝 土中の金 〟とは
儚い財物ではなく
子々孫々まで残せる財産
真理であり知恵なのです
富是一生財
身滅即共滅
智是萬代財
命終即随行
富は是一生の財
身滅すれば即ち共に滅す
智は是万代の財
命終れば即ち随って行く
(富は自分の一生の宝物ではあるものの、死んだら何の役にも立たない。
知恵は万代の宝物であり、たとえ死しても子々孫々へ受け継がれてゆく。)
<実語教>