子曰わく、齊、一變せば魯に至らん。魯一變せば道に至らん。
(先師が言われた。
「齊が一寸変れば、今の魯のようになり、魯が一寸変れば、道の行われるうるわしい国になるであろう」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
齊の国は、強大な軍事力をたてに大国として名を知らしめた国家です。
いわゆる “ 覇道 ” でのし上がったわけですが、徳を重んじる思想も少なからず存在していたそうです。
しかしそのような道徳的政治が主になることはなく、権力争いが繰り広げられていたとのこと。
孔子は、齊の国がもしも覇権を捨て去って徳を増すことができれば、魯国のようになれると考えていたのでしょう。
一方、魯国は孔子の生まれた国であり、古くから礼を重んじる徳ある国だったそうです。
当時は唯一無二の文化国家として認められるほどだったとのこと。
しかしそれは、領土の狭い小国であるがために、周囲の齊、晋、楚などの強国に対する防衛的意味合いもあったようです。
やがて、孔子が自らの儒教的思想を形作る時期になると、魯国の道義や徳の文化は衰退し始めます。
そして、最終的には楚によって滅ぼされました。
孔子とすれば、もっと徳を重んじた政を行っていれば〝王道〟としての国家の姿、すなわち素晴らしい理想的な道徳国家に至ることができたはずと考えていたのでしょう。
魯の国は、我が国と似ていませんか
近隣の軍事大国や覇権主義国家の影響を受ける中、国民の道徳的思想や仁の文化などは諸外国から貴重な存在として認められています。
日本は貧しい
しかし 高貴だ
世界でどうしても
生き残ってほしい民族を挙げるとしたら
それは日本人だ
(ポール・クローデル 仏詩人 1921~1927駐日大使)
しかし、そのような〝 国の姿 〟も徐々に衰退しています。
やがて徳の文化が衰え、歴史的遺産などが消費され続けると、日本の存在価値はどんどん減退していきます。
そうなる前に、私たち一人ひとりが、本当の意味での〝 道 〟、つまり〝 徳 〟を重んじ、〝 仁 〟があふれる国創りを行い、高めていくことが必要です。
国民一人ひとりの
自由と権利を尊重する
その上で
共同体として生きるための
責任と義務を果たしていく
このような将来の日本の姿
進むべき道の方向性
切望します
一年の計は穀を樹うるに如くはなし
十年の計は木を樹うるに如くはなし
終身の計は人を樹うるに如くはなし
(一年の計は穀物を植えること 十年の計は木を植えること 百年それ以上の計は人を育てることが大切)
<『管子』>