大學の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。
(知徳を兼ね備えて世によい影響を及ぼすような立派な人物、即ち大人となる学問の道筋は、先ず生まれながら与えられている明徳を発現(明らかに)するところにある。その明徳が発現されると、自ずから通ずる心一体感が生じ、誰とも親しむようになる。更に判断が正しくなり、常に道理に叶った行為が出来るようにもなる。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
明徳を明らかにする
神様に祈ったことはありますか
初詣のときだけなら実感が沸かないかもしれませんが、神様に祈る行為は、実は自分が為すべきことに気付くことにつながります。
“ お金持ちにしてください ”
多くの人は、この祈りが通じるとは思わないでしょう。
お金持ちになるためには、どうすれば良いのか、そう考えるのが普通でしょう。
よって次の祈りは、“ お金を儲ける知識と技能を授けてください ” となるかもしれません。
すると、その知識と技能が必要ということが判明し、恐らく自分から学び始めることになるでしょう。
つまり、お金持ちになりたいという抽象的な理想像を実現するために、自分自身がなすべき具体的な行動が明らかになっていくのです。
自分がなすべき行動とは、自らの力を養う過程であり、さらには経験とともに自信へとつながっていきます。
このような努力があってこそ、願いの実現に近づく、花が咲き始めることになります。
この努力で培われる力、これが「玄徳」と呼ばれるものです。
周囲からは見えません。
玄人と素人の違いであり、経験や試行錯誤によって培われた底力、植物なら根の働きとなります。
そして、実現した願い、咲いた花、華々しい成果、これらが「明徳」となります。
周囲の人からも確認できます。
「明徳」ばかりを追い求めては躓きます。
「明徳」を生み出す陰の力である「玄徳」を養ってこそ、「明徳」を発現させられるのです。
この「明徳」を明らかにし、発現させること、それが〝 大人 〟としての最初の課題です。
〝 大人 〟とは、自分の周囲に対して良い影響を及ぼすような優れた人物をさします。
民に親しむ
あなたが属する何らかの組織、仲間、集団の中で、嫌いな人はいますか
もしいるなら〝 大人 〟への道のりは未だ遠いということになります。
明徳を発現させ、やがて〝 大人 〟としての道を歩み始めると、たくさんの人との関わりが生じます。
会社組織や自治会の運営など、“ 役 ” が上位になるに従って、関わる人が多くなります。
〝 大人 〟としては、役のない一般の人々にも親しみを持って触れ合うことが肝心です。
あいつはちょっと気に食わないからと遠ざけるような狭量な対応では組織や集団はまとまらず、成長しません。
水清ければ魚棲まず
清濁併せ呑む
大きな度量で
たくさんの人を包容する
人物としての器
上に立つ人ほど、多くの人と一体感を持って、協力し合う姿勢が欠かせません。
至善に止まる
自分と他人の都合が対立し、お互いが反目し合うのは良い状況ではありません。
対立するのは、各々の都合が、各々の価値観から生じているためです。
各々の価値観は、自分勝手なものです。
〝 大人 〟は、自分勝手な都合を捨て去らねばなりません。
「至善に止まる」とは、善の行為を続けることです。
〝 善 〟とは、天の道理と地の理、すなわち「道理」です。
「道理」とは、自分にとって都合が悪くとも行うべき〝 善の行為 〟です。
古今東西、優れた偉人の多くは、この「道理」を貫いています。
それであってこそ〝 大人 〟の姿なのです。
まずは
明徳を明らかにすること
そこから始めていきましょう
自分の心の奥底にある本心
その本心との対話によって
何をなすべきかを見い出す
尊い自分の一生を輝かせる
意味のある試みのはずです