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COLUMNSブログ「論語と算盤」

理想の国

2025年2月18日

小國寡民にはじゅうはく有らしめ、人の器あって用いず。民をして死をはばかって遠くうつらざらしむ。しゅう輿有りと雖も、之に乘る所無し。甲兵有りと雖も、之をつらぬる所無し。民をしてけつじょうかえりて之を用いしむ。其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居を安しとし、其の俗を樂しむ。隣國相望み、けいの聲相聞えて、民老死に至るまで相往來せず。〔小國寡民章第八十〕

 (いたって小さい国わずかな民、そこに十人の長、あるいは百人の長、そういった隣組の長を置き、それから文明の利器があってもそれはいっさい用いようとはしない。

 人民すべてが自分の命を大切にし、利益を求めて遠く他国まで移動することのないようにさせる。

 船や馬車のような、そういう文明の利器があっても乗ることはない。

 鎧や兵器があったとしても、これを並べることはない。

 人民には太古の縄の結び目でものを記憶するという、そういう制度に立ち返って、結繩だけを用いさせる。文字は用いさせない。

 民すべては、自分の食べているものをうまいと考え、自分の着ている着物を美しいと考え、自分の住んでいるところを安らかだと考え、自分たちの風俗を楽しむ、そのようにさせる。

 小さい国なので、隣の国はすぐそこに見える。隣の国の鶏の声、犬の声も聞こえてくる。

 けれども、人民は老いて死ぬまでよその国と行き来することはしない。)

<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

この章は

老子が理想とする統一的国家

 

その姿とのこと

 

 

 

 思想的に対立すると考えられている孔子、その孔子も統一的国家を求めています。

 

〝道徳〟について両者は、個人的な道徳というよりも道徳的国家の構成要素として捉えており、共通しているところも少なくありません。

 

両者の意見が分かれるのは、孔子が文化国家を目指しているのに対して、老子は太古のままの村落共同体を維持したいと考えるところにあるとのことです。

 

 

 

 

 

翻って今の世界、日本はどうでしょうか。

 

 

 

 日本の大きな転換点の一つである明治維新

 

この頃から、日本人の意識レベルは大きく向上、成長していきます。

 

当時まだ残る差別や不条理の数々、未熟な医療で亡くなる人々、暴力等の犯罪…

 

決して社会的に良い状態ではなかったはずです。

 

 

しかし

 そういう厳しい環境の中において

  教師や親は

   〝人として成すべきこと〟

    〝人としてあるべき姿〟について

 

情熱と覚悟を携えて子供たちに伝授しました

 

 

その教えを基に

 勇ましく立ち上がり

  自らの生を真正面から

   ぶつけて生き抜いた人々

 

過去の偉人は枚挙にいとまがありません

 

 

 

 

 そして今、私も含めて、日本人の意識レベルは下がる一方です。

 

中には、良き教えを授けている親や教師も少なからず居るでしょう。

 

ただ、耳に入ってくるのは消費を目的とした雑多な情報ばかりです。

 

 

 

 現代、私たちの周囲に飛び交うたくさんの情報、問題はその質です。

 

 

 

質的に低い情報

それを聞かされるために

大半の時間が費やされています

 

 

その影響は大きく

多方面に及びます

 

 

子供を導くべき親の姿

そこには自信が見えません

 

教師は

働き方改革などの

十把一絡げの政策により

聖職者という位置付けから

一労働者へと

引き摺り下ろされました

 

もはや子供に伝えるべき

より良い人生を生きていく知恵など

持ち合わせてはいません。

 

 

 

明治時代、差別や不条理があった時代、それに比べて50年ほど前は〝一億総中流〟と感じられるまで国力が上がった日本

 

その後は下がる一方です。

 

150~200年前の状況まで落ち込んだ後、また上がることができるでしょうか。

 

このような周期的な動きにしかならないのでしょうか。

 

 

 

 

今日の言葉を考えるに

 人々の集団としての国

  いかにすれば整うのか

 

 

永遠の問いかと感じざるを得ません

 

 

 

 

ホモ・サピエンスが生まれて20万年

 

人類最初の文明とされる

メソポタミア文明が生じて6千

 

人類の〝意識レベル〟が

高まっていると思えないのは

私だけでしょうか