六合は是れ情の世界なり。万物は情に生じ、情に死す。至人は情無く、聖人は情を調へ、君子は情を制し、小人は情を縦にす。〔世運〕
(六合-上下東西南北すなわちこの世の中は情の世界である。万物は情の中に生まれ、情の中に死んでいく。至れる人は宇宙・大自然に同ずるものですから、区々たる人間の情などというものは超越しておるわけです。聖人はよく情を調える。調整機能がよくできる。しかし小人となるとこれをどうすることもできません。ただ情に任せ情をほしいままにする。だから乱れる一方であります。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
情にほだされる
この言葉は、良くない状態を招くという結論につながります。
情をいかに扱うかという問題は、人生の成否にさえ関わってきます。
安岡師は、次のような王陽明(陽明学の始祖)の言を紹介しています。
天下の事万変すと雖も、吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず。
此れ学を為すの要にして而して政を為すも亦其の中に在り。
(世の中のことはいろいろ変化があるけれども、要するにいかに喜びいかに怒り、いかに哀しみいかに楽しむか、というこの四つを出るものではない。学問をするといってもこれが要訣であって、政治も詮ずるところはこの四つに帰する、というものであります。)
<出所:同上>
喜怒哀楽に対していかに対処するか
これが最も重要なこと
それに対して、
周囲が喜んでいれば
まるで伝染したかのように
大声を張り上げて同調する行為
周囲が怒っていれば
火が燃え移ったかのように
怒鳴り散らして感情を爆発させる行為
周囲が哀しんでいれば
自分はもっと哀しんでいると
言わんばかりに大泣きする行為
周囲が楽しんでいれば
自分も楽しくならなきゃ損とばかりに
楽しんでいる姿を演じる行為
これらの行為は
客観的に不自然に映ります
そう
昨今のSNSの内容を盲目的に信じ
真実を掴んだかのように目を見開き
泡を飛ばしながら大声で叫ぶ輩と同じ
まさに
情にほだされてしまう小人
その哀れな姿
根拠のない同調や迎合は
邪悪の計らいであり
不幸に誘う馬車です
時折、全く別の場面も目にします。
結婚式で、列席者のほとんどが祝福しているとき、やや距離をいた位置から見守る人の姿。
新郎新婦が気付かないような離れた場所にいるのですが、その二人の幸せを、深い視点から、誰よりも願っているのかもしれません。
~愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、お互いが同じ方向を見つめることである~
(Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.)
(『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリ)
あるいは葬儀の席で、皆が哀しむ中、まるで居ないかのように、空気のように佇んでいる人の姿。
尊敬や感謝の気持ちを心で伝え、安らかにお休みくださいと、穏やかに語りかけているのかもしれません。
このような姿勢が
情を整えるということではないでしょうか
かくありたいものです
ところで、もう一つ考えねばならないことがあります。
近年
世界に不幸と怒りをまき散らかしている
独裁国家や一党独裁国家
そして中東における
暴力的かつ破壊的な振舞い
これらは
独裁者自身の名誉のため
あるいは独裁者自身が抑制できない
感情を起因とした行為です
それによって
人々の平凡で穏やかな生活が奪われ
命と自由を軽視しているような現状には
否が応でも心が乱れます
このような問題へどう対処するかに関して、上智大学名誉教授であった渡部昇一師(1930~2017)は、カール・ヒルティ(1833~1909スイスの哲学者)から学んだ心術の一つとして、そのヒルティが訳した〝エピクテートス(55頃~135頃 ストア派の哲学者)の哲学〟を紹介しています。
「自分の置かれた環境の中で、自分の意志で自由にならない範囲をしっかりと見極めるということです。~中略~ 意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。で、意志の範囲にないことは問題にもしない。~中略~ 諦めるというのは、明らめるなんです。明らかにするという意味です。」
(出所:『人間学入門 人間力を高める』致知出版社)
今日の言葉に出会い
SNSにまん延する迷いや弊害
さらには独裁者の卑劣な行為
これらが小人の振舞いに他ならないこと
それを「明らかに」できたと感じます