死の後を知らんと欲せば、当に生の前を観るべし。昼夜は死生なり、醒睡も死生なり。呼吸も死生なり。〔晩二八七〕
(死後のことを知ろうとするならば、生まれる前のことを観るとよい。昼が生なら、夜は死である。目覚めているときが生ならば、眠っているときは死である。吐く息が生ならば、吸う息は死である。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
死後の世界は、万人が気になることです。
しかし、その話題が語られることは、さほど多くありません。
考えても仕方ないということでしょうか。
それよりも、いまをどう生きるかに意義があるという意見の方が納得できます。
ただ、最も大切なのは、その〝いま〟をどういう基軸で捉えるかということ。
幼い頃に
人を救いたい
この世を良くしたい
社会を豊かにしたい
こんな夢を熱意とともに感じた人は
医者や僧侶
政治家や官僚
生産者や商売人を
目指すことになるでしょう
その動機に濁りはありません。
純粋に、病気の人や迷える人を救いたい、公平で公正な世を創りたい、たくさんの農産物を収穫し、多くの人に行き渡らせたい、つまり皆が喜び合う世界のために役立ちたいという思いです。
理想とした未来の自分の姿
それを実現させるために
長い年月のあいだ
成長し続ける
その思いを自分の心の中で燃やし続けることができる人は、それだけで成功の道を歩むことになります。
そこには〝自分の生〟があります。
自分の力でこの世に貢献したい
〝自分の価値観・判断基準が基軸〟
こう捉えて今を生きる
一方で、自分の心の声を聞き取れず、〝他人の評価や他人の価値観を基軸〟として生きる人が圧倒的に多いのが現実です。
誰よりも成績を上げ、誰よりも先に出世し、組織のトップに就く。
会社の規模を大きくし、多くの付加価値を生み出す。
地域№1、日本一、世界一へと
気がつくと
与えられた価値観の中で彩られた経歴
それが敬われる環境はすでに無く
自らが蚊帳の外にいる感覚
組織メンバーや部下たちは
トップの想いなどお構いなし
自分のためだけに仕事をする姿
やがて代替わりの時期がきます。
うまく出世できなかった人たちには退職のときがきます。
そしてそれぞれ、たった一人の普通の人に戻るのです。
誰も敬ってくれません。
皆が注目する土俵で勝負する機会、そしてその土俵さえ、もはや存在しないのです。
過去において
〝そのとき〟・〝いま〟を
真剣に捉えて戦う日々
それは有意義だったでしょう
ただ
晩年は少し寂しいものです
前述の〝自分の生〟を生きてきた人たちは、死ぬまで理想を追うことでしょう。
たとえ環境や立場が変わっても
心の灯が燃え続ける限り
人遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り
(遠くを思いめぐらすことがないと、必ず身近なところに心配ごとが起こるものだ)
<論語 衛霊公第十五>
そのとき、そのときを
やり過ごすのではなく
未来の理想像の実現に向けて
一分一秒に真剣に取り組み
死ぬかのように床につく
そんな一日の生き方
それで一生を生きぬく
これが本来の人間の自然な姿