物毎書道迦れ候事〔名言集より 直茂公御壁書〕
(ここにいう書道とは、習字のことではなくて書物に出ていることの意味である。書物の上のことは、いかに正しい道理であっても、これを杓子定規に現実にあてはめようとすれば必ず失敗してしまう。一般的な理論を現実に適用する際には、そのままではまず役に立たぬことを覚悟してかかるべきであろう。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
平安時代の終わりに書き上げられたとされる「実語教」
その冒頭の言葉は次のとおりです。
山高故不貴 以有樹為貴
人肥故不貴 以有智為貴
山高きが故に貴からず。
樹有るを以て貴しとす。
人肥たるが故に貴からず。
智有るを以て貴しとす。
(山は高いからといって価値があるわけではありません。そこに樹があるからこそ価値が出てくるのです。
人は太ってふくよかであるといって立派なのではありません。知恵があるからこそ立派な人ということができるのです。)
<出所:『子供と声を出して読みたい「実語教」』齋藤孝著 致知出版社>
初めて読んだ人にとっても納得できる言葉です。
しかし、これを杓子定規に当てはめて、山に樹を植えようとたくさん植林しても、上手に間伐しないと樹木は育ちません。
また、知恵を付けようと、例えばただ論語を覚えたとしても、「論語読みの論語知らず」となり、役に立つ働きはできません。
現実に適用する際には、知恵が必要です。
知恵を付けるためには、格言、言い伝え、諺などからその真意を測り、自分の中で理由を明らかにしていくという思考の過程が欠かせません。
世の中の言葉や情報を盲目的に受け入れてはいけないのです。
自分の頭の中でよく咀嚼して理解することでこそ、賢明な行動に移せるようになるはずです。
先人の言なれども、堅く執することなかれ。
若、是もあしくもや有ん、信ずるにつけてもと思うて、
勝たることあらば、次第につくべきなり。
「正法眼蔵随聞記」巻五
(先人の言葉であっても、それに固執してはならない。これも、もしかしたら、悪いところがあるかもしれないからである。信用するにしても、さらによく考え、勝れているところがあれば、順次にその方にしたがうべきである。)
<出典:『道元一日一言』大谷哲夫編 致知出版社>
それが習慣化すれば、やがて〝 立派な人間 〟として形作られるようになるのでしょう。
贅沢な食事をし
自らの脚で歩かず運ばせて
高価な品や衣服で飾り
肥えた身体で裕福を主張する
真理を知ろうと己を高め
世の人々の役に立とうと
知恵を身に付け
それを次代に伝承していく
富是一生財 身滅即共滅
智是萬代財 命終即随行
富は是一生の財、身滅すれば即ち共に滅す。
智は是万代の財、命終れば即ち随って行く。
(富は自分が生きている間は大切なものですが、死んでしまえば墓の中まで持っていけるものではありません。
それに対して智恵は万代の後まで残るものです。自分が死んでも、子孫へと受け継がれていくものなのです。)
<出所:上記齋藤著に同じ>
進むべき道は明らかです