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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人生の課題

2025年1月25日

生はれ死の始め、死は是れ生の終り。生ぜざればすなわち死せず。死せざれば則ち生ぜず。生はもとより生、死もまた生。「生生之れをえきう」とは、すなわれなり。〔晩二八五〕

(生は死の始めであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはないし、死ななければ生まれることもない。生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。「生々変化してきわまりのないことを易という」というのは、このことである。)

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

人は、生まれた瞬間から、死に向かって進んでいきます。

 

そして死は、生きてきたからこそ辿り着ける到達点です。

 

 

 

 

 もしも時間の進み方逆だったらどうでしょう。

 

 

あるとき棺桶の中で目覚める・・・、これは少しドラマチックすぎますね。

 

 

あるとき、目の前に白衣を着た人やハンカチを目に当てた人たちが現れます。

 

それは医療関係者、そして家族。

 

やがてあなたの身体は軽やかになって、自立し、歩けるようになり、病院から出ます。

 

そして、朝から会社に行って管理職として仕事をし始めます。

 

やがて管理職の補佐となり、そして一般社員になっていきます。

 

学生になって学び、義務教育も経て、保育園、ついには物心がつく前まで到達し、そして生まれる瞬間を迎えます。

 

その後この世から去ります。

 

 

 

この逆回りの人生では、思考はどうなるのでしょうか。

 

新社会人として、いきなり部長や課長となるのはちょっと怖さを感じます。

 

会社の中で、部下達とうまくやっていけるのでしょうか。

 

 

もし、充分な知見を持っているとしても、その後は時間の経過とともに、徐々に知恵を失っていく人生となります。

 

身体は若返って元気になっていきますが、精神や思考力は衰退していきます。

 

身体がベストな年代を20歳前後とするなら、人生100年として、残り20%の時点で身体能力が最高になり、そこから下降線を辿ります。

 

 

つまり、時間が逆回りの人生は、知力や思考力をどんどん失いながら、身体能力が伸びていく人生です。

 

 

 

時間が正常に刻まれる人生ではどうでしょう。

 

人生の序盤20%、20歳のときに身体が最高となり、知恵や思考力はここからさらに伸びていきます。

 

そして、人生残り20%、80歳のときに最高レベルに達し、そこからは記憶が薄れていってしまう。

 

 

時間の経過が正常な人生は、体の衰えと闘いながら、知力や思考力をのばす人生です。

 

 

 

 

選ぶことはできませんが

どちらが良いですか?

 

 

 

 

時間の経過が正常な人生においては

知力や思考力を高めていくことが大切です

 

 

 

私の人生の課題は

私自身を成熟させることだ

 

(ライナー・マリア・リルケ ドイツの詩人)

 

 

 

リルケのいう〝 私 〟とは

時間が正常に刻まれる人生を送る

全ての人に

当てはまるのではないでしょうか