武篇は麁忽ぞ。不断あるべからず〔名言集より 直茂公御壁書〕
(戦場にあって、ここぞというときに前後の考えを一切捨て、全精力をあげて一点につっこむ心得が望まれる。知恵も才能もこの場合には不必要、いや、むしろ邪魔である。
この境地をさして「そこつ」といったのであろう。
だが、これはあくまで非常の際のこと、常時はこれでは困るというのが「不断あるべからず」の句である。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
戦の場では
知恵や才能ではなく
勇気と力で挑み
直感で敵の攻撃をかわす
智恵や才能、前後の流れなどをいちいち筋道立てて考えていれば、自分の命などあっという間に消え失せるでしょう。
しかし、一時的に争いが中断となったとき、そのときは知恵や熟慮が必要ではないでしょうか。
特に自軍が優勢で相手がギリギリの状況という場面です。
戦が再開したとき、敵軍は最後の死闘として満身創痍で切り合いに挑んでいくわけですが、そこで肩透かしを食らえばダメージは多大です。
ただ、こうも考えられます。
そのような姑息ともいえる手段が外れた場合です。
それがもとで自軍が逆に劣勢になって負けるようなことがあれば、その武将の評価は相当に低くなるでしょう。
やはり
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」
なのでしょう
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死ぬか生きるかの二つに一つという場合、絶対見通しを誤らぬことは不可能です。誰しも死ぬのを避けようとするから生きていられるような理屈を考えるのです。その見通しが外れて生き残ってしまったとき、あいつは腰ぬけといわれても仕方ありません。ここが危うい瀬戸際とのこと。
真に武士道を身につけるためには、毎朝毎夕、くり返し命を捨てた心持ちになる修行が大切ということです。
編著の神子侃氏による、「‘生命尊重’の掛け声に安住して実は生命が浪費されている現代に対する痛烈なアイロニー」、「現代に生きる我々の不幸は、身命を投げ出すに足りるほどの明確な理想、目標を見出しえずにいることではないだろうか」という意見は、まさにそのとおりと考えます。
剛柔相易わり
典要となすべからず
ただ変の適くところのままなり
<繫辞下伝>
(陰陽は常一定でなく、時に転化するものである。ある時は良いとされるものが、ある時は悪いとされる。
物事の変化動向を正しく見極めるには、良し悪しの固定観念を捨てて、混沌とした変化をそのまま見つめることが大切なのである。)
<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>
------2021年6月25日のブログの要約------
一方で平常時は、物事の前後の流れを十分に考慮し、知恵と才能を総動員して事に当たるべきでしょう。
不足する資源をどう準備するかを考えて手当てし、戦略を練り上げなければなりません。
ただしこのとき、〝常在戦場〟という言葉もあるように、直観や勇気も必要なはず。
自分の安全など二の次
お家の存続に命をかける武士の生き方
タイミングを熟慮し
ここぞのときに満開の花を咲かせる月下美人
ともに一夜で散る命
美しいものは儚い
そして、儚さには深い理由がある
故に、美しさにもその理由がある