Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

素直

2024年12月24日

のたまわく、人のくるやなおし。これいて生くるや、幸いにしてまぬがるるなり。

(元来人はまっすぐなものだ。それを曲げて生きているのは、幸いに天罰を免れているに過ぎない)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

自分は素直だと思いますか

 

 

 

 

 私は、若いころから、素直とは目上の人、先人、年長者の言うことを抵抗せずに受け入れること、つまり大人から見て都合の良い人間をさすものと解釈してきました。

 

そのため、単に素直なだけという人間には決してなってはいけないと心がけていました。

 

 

 

 

しかし、振り返ってみると、この人には付いていきたい、教えてほしい、全てを学び取りたいと思わせる人に出会ったとき、私は全くの素直になっていたような気がします。

 

何の疑いも生じず、教えてほしい、言われたことに120%応えたいという気持ちだけでした。

 

 

 

 

 松下幸之助は、晩年においてさえ、社員に対して「素直の十段になりましょう」と言われていたそうです。

 

このことを知った時も、単に年長者や役職者にとって使いやすい社員になれというのか、という疑問が生じました。

 

※1894年和歌山市生まれ。1918年松下電気器具製作所(後の松下電器産業、現パナソニック)を創業。1979年に松下政経塾設立。1989死去

 

 

 

 

 

しばらくそのままでしたが、最近一つのことに気付きました。

 

 

それは、素直になる相手は “ 天 ” である、ということです。

 

 

命を授けてくれた “ 天 ” 、どう生きるかは “ 天 ” の思いに沿うということ、これが真の “ 素直 ” の意味に違いないと。

 

 

 

今日の言は

この考えに

一致していると思います

 

 

 

 

“ 天 ” の思いを人生で体現する

 

いただいた命

死ぬときに

「うまくできました」と

報告しお返しする

 

元々

自分の意志でこの生を得たわけでは

ないのですから

 

 

 

自分だけの考え

我がまま

独りよがり

こんなことで

人生という時間を

浪費すること

これはあまりにつたな

 

極端に表現すれば

裏切り行為

 

 

 

 

自分の寿命

 その長短ばかり気にして生きるより

 

明日、今日死んでしまっても

 “ 天 ” に堂々と報告できる

  そういう生き方をすること

 

 

これが最も重要であることを

忘れてはなりません