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COLUMNSブログ「論語と算盤」

推譲

2024年12月20日

天の道は其れ猶お弓を張るがごときか。高き者は之を抑え、ひくき者は之を擧ぐ。あまり有る者は之を損し、足らざる者は之を補う。天の道は、餘有るを損して足らざるを補う。人の道は則ち然らず、足らざるを損して以て餘有るに奉ず。たれか能く餘有りて以て天下に奉ぜん。唯有道者のみ。ここを以て聖人はしてたのまず。功成りてらず。其れけんあらわすを欲せず。

(天の道というものは、弓に弦を張ったままの状態でおいた、それと同じである。

 りの高い所は、おのずから抑えられる。反りの低かった所は、自然に上がってくる。つまり平均した形になってくる。力のあり余った部分は、みずから力を減らすであろう。力の足りなかったところは補われるであろう。

 弦を張った弓におけるがごとく、自然の道というものは、余りある所を減らし、足りない所に補ってやる。これが天の道である。

 それに対して人間の生き方は逆である。足りない所から削って、あり余っている所に奉仕しようとする。これが人間の生き方である。自分に余りのあるもの、それを持ってきて天下に奉仕すること、だれがそれをよくするか。それは道をわきまえた人だけができることである。

 そういうわけで聖人は、何か天下に対してなすところがあっても、その手柄を自慢しない、成功してもその手柄が自分のものだとはいわない。

 そもそも自分の優れた能力、それをひけらかすことを聖人は欲しないのである。)

<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

財を得たならもてはやされ

手柄を上げればおだてられる

 

 

そこにごうが生じたら、身を滅ぼしかねません。

 

もっと、もっとと、弱者から吸い上げる行為さえも正当化してしまうでしょう。

 

これが一国の王であれば、その国が永く続くか否かは明らかです。

 

 

 

 

一方、もてはやす側の心も素直ではありません。

 

褒めて持ち上げ、心からの称賛であるかのような振りをする。

 

おこぼれにあずかろうという企てがあるかもしれません。

 

あるいは、調子に乗せておいて、滑り落ちることを期待しているのかもしれません。

 

 

 

 

やはり大切なのは、本人の心次第です。

 

褒められよう、おだててもらおうとしたのか、もしそうなら、他者の価値観に合わせようとする試みであり、陳腐でしかありません。

 

やるべきことをやった上で成功した、うまくいったというのなら、おだてに乗る理由はないはず。

 

また、次のやるべきことに進むだけでしょう。

 

所詮、短い人生なのですから。

 

 

 

 

昆虫から人間まで、生き物というものは、数日から数ヶ月、数年、数十年、それ以上、それぞれに生の時間を与えられています。

 

その中でも人間だけが、おだてに乗って踊り、自分の道を間違ってしまう生き物です。

 

 

一方、例えば蜜蜂は、花から花へ飛び、受粉の手伝いをし、花はやがて実をつけ、それを動物が食べるという、壮大な生命のつながりに貢献しています。

 

たった30日前後の寿命の中においてです。

 

 

 

このような行為にこそ

感謝、尊敬する

それが人の道

 

 

 

 

人間は、文句を言わない小さな生命、山や川という自然から、たくさんのものを搾取して消費し、自分たちの居心地を良くしてきました。

 

 

 

我々は、弱者に譲っているでしょうか。

 

そうだとしてもそれは充分でしょうか。

 

 

 

 

今日の言が

天の道であるのなら

 

我々人類の将来は

確実に見通せています