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COLUMNSブログ「論語と算盤」

退潮

2024年12月13日

人のよわいは、四十をえてもって七八十に至りて、ようやく老に極まり、かいちょうごとしかり。退潮は直退せず、必ず一前いちぜんいっきゃくして漸退ぜんたいす。すなわ回旋かいせんして移るなり。進潮もまた然り。人人宜ひとびとよろしくみずかためすべし。〔晩二八二〕

(人の年齢は四十を超えて七十、八十になると、ようやく老いも極まってくる。これは海の潮流と同じようなものである。引き潮は一気に引いていくのではなく、必ず寄せては返しを繰り返しながら少しずつ引いていく。

 すなわち、めぐり回りながら移っていくのである。上げ潮もまた同じである。本当かどうか、人々は自分が年をとる時に試してみればよい。)

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

寄せては返す波

 

潮が引くときはこれを繰り返し

徐々に海岸線が遠ざかっていく

 

老いもそれと同じようなもの

 

 

 

 

確かにそうでしょう ・・・、はたには

 

 

 

 

そう私は考えたいと思います。

 

 

 

寄せては返すことを繰り返し

 自然の流れでやがて消えていく

 

大自然の摂理かもしれませんが、まだまだ藻掻もがかねば。

 

 

 

 

他人に誇れるほどの

 挑戦などできていませんが

 

幸いながら

 五体満足で

  この世に生まれ落ちた自分

 

 

 

もっとこの世のために活かしたい

 

 

 

 

もちろん、潮が満ちるときのように、寄せては返すことを繰り返しながら、海岸線を近づけるようなことは、もはやできません。

 

 

 

しかし

 

知識、知恵、感情

人生の満潮時に

自分の五感で得られたこれら全ては

 

退潮しつつある

自分のこれからの人生における

挑戦のいしずえになるはず

 

 

 

 

 

自分の経験から得られた

 それら全ての価値を

  仕舞い込むのは勿体ない

 

 

 

 

 

穏やかに過ごす

 

 

傍目には優雅で素敵なことでしょう

 

 

 

 

しかし

色褪せた表面的なだけの価値観に

自分の内面までを

埋もれさせるつもりは

毛頭ありません

 

 

 

一人ひとりは間違いなく

 釈尊のいう

  “ てんじょうゆい独尊どくそん

   なのですから

 

 

 

 

 

自分の

個性

可能性

生きがい

やりがい

挑戦

 

これらに大人おとなしくふたをすることなく

逆に練り上げていかねばならない

 

 

 

 

 

六十、七十はなたれ小僧

男盛りは百から百から

急くな急ぐな来世もあるぞ

 

六十、七十はなたれ娘

女盛りは百から百から

急くな急ぐな来世もあるぞ

 

(彫刻家 平櫛田中)