恐惶に筆でついえず、礼に腰折れず〔名言集より 聞書第十一〕
(手紙に何回くり返して “ 恐惶 ” と書いても、それで筆がいたむこともない。お辞儀をいくらしても、腰が折れたという話はきかぬとの意味である。)
<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
※恐惶(きょうこう):畏れ慎むこと。手紙の終わりに書き添える挨拶の言葉。
恐惶、お礼、そして感謝
積極的に用いたり行ったりした方が
良いということです
ただし、おべっか、ゴマすり、慇懃無礼にならないようにしなくてはなりません。
また、何でもかんでもお礼するのはお調子者とみられかねませんので注意が必要です。
例えば、周囲に人のいない一対一の場で、「あのときはありがとうございました、お陰様で~」というように、感謝やお礼をしたい事柄を具体的に伝えるのが良いでしょう。
自分の状況が良くなるほど、感謝することが重要になってきます。
人は一人では生きていけません。
人と人はお互いに密接に関係しあっています。
通りすがりの人でさえ、あなたの処遇や評価に何らかの影響を与えているのかもしれません。
また、 “ 物 ” への感謝も大切です。
たとえば靴は、丈夫で長持ちしてくれれば、買い替える手間を省いてくれるでしょう。
さらに機能や品質が良ければ、長く歩いても脚を守ってくれるでしょう。
その “ 物 ” に感謝すること
その良い “ 物 ” を長く使う
『一番大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(吉川竜実 著)では、次のように述べられています。
“ 神道 ” では、自然を一つの小宇宙と捉えているそうです。
そして、「人間も動植物もその一部として、調和しながら存在している」というのが日本の自然観とのことです。
一方、西洋では自然はコントロールするものと考えており、聖書にも「自然を支配するように」と記されているそうです。
私たちは日本で生まれ育ち、“ いただきます ” や “ ごちそうさま ” と言いますが、これこそが「この世の全てのものに神が宿り、人々が関係し合って成り立つ、そのおかげで自分がいるという神道の世界観」を持っている証とのこと。
以上から、全てのものに感謝すること、私は当然の行為、自然な振る舞いと考えます。
自分の状況が良くなってきたとき
勝負に勝ったときなど
周囲に感謝せず
自分の力と考えれば
その気持ちは周囲に伝播します
つまり、傲慢さとして現れることになり、周囲にそれが伝わっていきます。
すると、周囲の人や小宇宙を構成する様々な要素が徐々に遠ざかり始めます。
自分の心に宿る
傲慢さの芽を摘み取るには
日々全てのものに
感謝することが欠かせません
人生の大病は
ただこれ
一の傲字なり
(王陽明)
実るほど頭を垂れる稲穂かな
(故事成語 作者不明)