子曰わく、質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子なり。
(先師が言われた。
「質が文に勝てば野人肌である、文が質に勝てば記録係のようだ。文と質とがうまく均整がとれてこそ君子と言える」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
人間の本質的要素が強く、表面的知識が弱い人は、薄っぺらな連中や悪党に良い様に使われてしまう恐れがあります。
正直者が馬鹿を見ることになりかねません。
反対に、表面的知識が強く、人としての本質的素養ができてない人は、
それが善人であれば、人生に空虚を感じるのではないでしょうか。
それが悪人であれば、悪事を企てるかもしれません。
現代の日本は、学校で表面的な知識を詰め込まれるだけで、本質的素養が育っていない人が圧倒的に多くなっていませんか。
そのため、大人、責任ある立場の人でさえ、法律を破らなければ何をしても良いという考え方が散見されます。
しかし、法律とは、人間社会の底辺部分の決まり事としての位置づけであり、悪人が世に蔓延らないためにやむを得ず作られたものです。
人は、この世に生まれ落ちたあと、協力し合い、助け合って生きています。
その結果、人類は地球上に80億人を超えるまでに繫栄しています。
これは、一人ひとりがかけがえのない効力を発揮して、共同体に貢献しているからです。
にもかかわらず、そのような個々の人に危害を加えるということは、天が生み出した生命の繁栄という “ 道理 ” に反する行為です。
あるいは、困った時のために、明日のために、みんなのために蓄えてきた財を盗むという行為も然り。
また、多くの人のために耕してきた土壌、それを踏みにじったりゴミを廃棄したりすることも同じ。
そんな、“ 道理 ”に反する輩は、それが悪事であることを気付かせるために罰しなければなりません。
そのための必要最低限の決まりごとが法律なのです。
以前、ある地方議員は、自分の事務所を親族の不動産会社から借りる形をとり、国からの事務所費用を一族の蓄財に回していました。
法律上は問題ないようで、その議員は言い訳というよりも、堂々と世間に誤解だと訴えていたのです。
しかし “ 道理 ” の観点からでは、国や地域の政を司るべく委任された者が、それを隠れ蓑に、国民の税金を原資とする公費を自分の蓄財に充てているということに他なりません。
人間としての
本質的素養が欠落している
幼い者
拙い者
そんな者が
今の日本に蔓延りつつあります
学校で学ぶ表面的知識、いわゆる “ 時務学 ” は大切ではありますが、人としての本質的素養、つまり “ 人間学 ” を手当てしていないがために、“ 道理 ” に反する悪事が正当化されてしまう危険性が高まっているのではないでしょうか。
日本には、古くから人物を養う文化、道徳を大切にする価値観があったはずです。
そのおかげで、多くの “ 道理 ”、知恵、道徳が蓄えられていたのですが、戦後は徐々に減少し、現代ではほぼ使い切ってしまったように感じます。
急ぎ
人物の素養たる
“ 人間学 ” を取り戻し
高めていかねばなりません
戦前
積み重ねてきたストックは
あらゆる方面で
枯渇してきています
現在は
経済面を中心に
フローにばかり
注目しているようです
国家の素養
“ 人間学 ” のストック
改めて積み重ねていかなければ
我が国
そして世界も良くなりません