子曰わく、祝鮀の佞あらずして宋朝の美あるは、難いかな、今の世に免れんこと。
(先師が言われた。
「祝鮀(衛の大夫)のように口がうまく、宋朝(宋の公子)ほどの美男でないと、今の世では、無事につとまらないねえ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
衛という国は、紀元前11世紀から紀元前209年まで続いた小国です。
その領土は黄河流域の中心地という恵まれた地域にあったようですが、如何せん狭く、周辺諸国との折衝に忙殺される状況だったようです。
祝鮀は、衛の第29代君主霊公に仕えた神官ですが、諸外国に対しても臆することなく自国の主張をするような雄弁家であったそうです。
今日の言葉の解釈について、論語普及会の宮武清寛氏によると、当時の衛は国が混乱し衰退していたのではないかとのこと。
特に終盤の「難いかな、今の世に免れんこと」の “ 免 ” は、殺戮を含めた表現であるらしく、相当危険な状況であったことがうかがえます。
また、違った解釈として、美貌だけ持っているのは危険であり、その上に弁舌を兼ね備える者にして、初めてやってゆけるという説もあるそうです。
一方、美貌を有する宋朝は、霊公の妃である南子に殊更気に入られ、南子が霊公に嫁ぐ前から関係を持ち、さらには妃となった後も呼びつけられて隠れた不義を重ねていたとのこと。
国が傾き混乱する中、重用されるのは祝鮀のような弁舌が巧みで交渉上手な者。
祝鮀の高い能力は、稀有な英雄という位置づけだったのでしょう。
こんな英雄のような人物しか、今の世を生き延びることはできない。
他に生き延びることができる者がいるとするなら、宋朝のような天性の美貌を持って生まれ、君主の妃に寵愛されるような者くらい。
孔子は
全く違う分野の
特別な二人を相並び立たせ
このような特殊な者たちしか
生き延びられないいまの現状
つまりは
衛国が相当に混乱し
窮まっている状況を
描写したのではないでしょうか
本日は以上とします。