Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

至誠

2024年10月31日

知識は心のげつなり。才能は身の妖なり。貴寵は家の禍なり。富足は子孫のわざわいなり。〔談道〕

(知識は心のわざわいである。才能は身のまがごとである。位貴くして愛せられるのは家の禍である。富みて足るは子孫の殃である。)

<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

 

人生の禍について

その本質が述べられています

 

 

 

なまじ知識をつけてしまうと、それに振り回されて、得してやろうと良心や誠実さを害してしまいかねません。

 

 

なまじ才能があれば努力を怠り、手っ取り早く得をしようと悪事に用いかねません。

 

 

地位が高い家柄のため人々から崇められているのは、利用しようと思われているからです。

 

地位が高いだけで人間が不遜なら、愛されることはないでしょう。

 

もしその家が没落したら、最初からそんな家は無かったかのように人々はそっぽを向きます。

 

 

何かの成功によって富を得てしまうと、悦に入ることになります。

 

子や孫にまできょうしゃな生活を与え、周囲から忌み嫌われる人間にしてしまいます。

 

やがて相続となると、いわゆる骨肉の争いを招き、さもしい餓鬼どもの修羅場を生み出すだけです。

 

 

 

 

私たちは、知識が豊富であったり、才能があったり、地位や富を得た人を成功者と呼びがちです。

 

しかし、真の成功者は極めて少数であり、大半が自ら掘った墓穴に落ちて行っています。

 

 

 

安岡師は本書の中で、「人が為す・・・・と書いて “ いつわり ” という字ができておる。どうも本物と偽物との区別がなかなかつかぬものであります。」とのこと。

 

 

 

かなりの時間を要して

 もしくは他界してからしか

  その人が本物だったかどうか

   わからないのかもしれません

 

 

 

これら禍を避けるための “ 道 ” を明らかにした二宮尊徳(金次郎)

 

翁が示した「至誠」「勤労」「分度」「推譲」は、正しく生きていくための勘所といえます。

 

 

およそ世の中は

知恵があっても学があっても

至誠と実行とでなければ

事は成らぬものと知るべきだ

 

<出典:『二宮翁夜話』福住正兄 原著 佐々井典比古 訳注 致知出版社>

 

 

 

地位や富に心を奪われることなく

至誠を尽くしていきたいものです