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COLUMNSブログ「論語と算盤」

自由

2024年10月18日

みょうを思ふは奉公人にあらず、名利を思はざるも奉公人にあらず〔名言集より 聞書第二〕

(立身第一主義の奉公人が困りものであることはいうをまたない。お家の繁栄よりもわが身の栄達を先に考え、目先の利害で動き、縁の下の力持ち的なことは逃げてしまうからである。

 だが、立身出世ということを考えない者もまた困りものである。なぜか。

 本当に忠誠心の強いものであれば、自分の持っている力を、より有効に生かせるような地位に上ることを願うはずである。いろいろな抵抗や妨害をおしのけてでも、最も働き甲斐のある部署につくため努力するのが本当である。そうしたことで手を汚すのはご免とばかり、与えられた仕事のカラにとじこもり、日々の安穏をだけ貪っているようでは、よい奉公人とはいえない。

 むしろ、目的は自分の出世のためであっても、がむしゃらに仕事に打ち込む者の方が、貢献の度合いは大きいともいえよう。

 山本常朝が、自分より年長の甥である山本五郎左衛門から聞いて、ショックを受けたことばである。)

<出典:『葉隠』原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

 

 

自分の力をすべて出しきる仕事ができること

 

組織も自分も全ての意味で良くなるでしょう

 

 

 

そのことを鋭く指摘した今日の教訓は、現代の日本の仕事環境にもあてはまります。

 

昭和の時代は “ 名利を思ふ ” 者が相対的に多数だったように思います。

 

しかし平成、令和になるにつれ、今度は “ 名利を思はざる ” 者が増えているようです。

 

 

 「働き方改革」は両刃の剣であり、企業側の効率性と生産性の向上を促進すると同時に、対応を間違うと画一的な日々を国民に送らせる縛りとなりかねません。

 

 

 

 

 

 ところで、病にかかるのは、親に将来の道をきつく植え付けられた過去を持つ人が多いそうです。

 

親から期待というより命令された人生を送ろうと一所懸命努力しても、そう簡単にはうまくいきません。

 

やがて、親の求める姿になれないことに苛まれ、精神的な無理、ギャップが生じ、自律神経や免疫力を弱めてしまうのではないでしょうか。

 

 

 

同じように、一日の仕事はここまでだと、枠に収められれば心の中に不満が鬱積します。

 

力を発揮したい人は、自分の工夫と努力で思い切り活躍する、そんな自由な環境がなくなれば、人はしかばねでしかありません。

 

仕事や自分の役割を存分に追及できる社会、それが自由主義であり、人類の発展を促す基盤であるはずです。

 

 

 

「働き方改革」は、対応を取り違えると、共産主義的な国民への圧力と化しかねません。

 

 

 

 

また、パワハラやセクハラなど、組織内部の問題がクローズアップされています。

 

なぜこれらは生じるのでしょうか

 

 

 

最初は経営側に問題があったと考えられます。

 

“ 名利を思ふ ” 者は

職位が上がるほど保身に回り

都合の悪いことを黙らせようと

日頃から部下を脅して恐怖心を植え付ける

 

一方

“ 名利を思はざる ” 者は

仕事するための場をはき違え

性的嫌がらせや横領などに走る

 

 

このような不道徳、不条理、不合理さを見過ごすわけにはいきません。

 

しかし、だからと言って真の原因を探求する労力を避け、「やめましょう」と啓蒙したり、法的手段を充実させるのは場当たり的な対症療法でしかありません。

 

 

「暑いです」→「冷房入れろ」

「寒いです」→「暖房入れろ」

 

こんな指示なら、どんな間抜けでもできるのです

 

 

 

 

真の原因は

間違いなく

“ 心 ” の問題です

 

 

 

物事の判断において、善悪の基準が薄れ、損得勘定ばかりになっています。

 

 

 

自分の会社に対する

エンゲージメント(愛顧心、愛着心)

 

日本は世界的にみて

そのレベルが圧倒的に低く

また低下傾向にあるとのこと

 

 

社会に生ずる様々な問題への対症療法的な現状の対応では、日本の経済力が高まらないのは当然であり、さらに勤勉さや道徳心、やさしさや思いやりまで失いそうです。

 

 

 

 

 

板垣死すとも自由は死せず

 

         (板垣退助)

 

 

 

自由

そして正しい心

 

それは

一人ひとりが

継続して育むと同時に

守っていかねばなりません