子曰わく、孟之反、伐らず。奔りて殿す。將に門に入らんとして、其の馬に策ちて曰わく、敢て後るるに非ざるなり。馬進まざるなり。〔雍也第六〕
(先師が言われた。
「孟之反(魯の大夫)は自ら功をほこらない人だ。戦に負けて逃げ帰った時、味方を守ってしんがりをつとめた。いよいよ門に入ろうとして馬にむち打って言った。
『殊更に後れたのではない。馬が進まなかったからだ』」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
魯の国に斉が攻め入り、都にまで迫ったため魯軍はやむなく城内に退きました。
このとき、孟之反は殿を務めました。
追ってくる敵軍と戦い、自分たちも逃げ切る。
このような殿の軍、その長の役割は、相当な力量がないと務まりません。
その役を存分にこなしたにもかかわらず、その功績を一切誇らず煙に巻いたのです。
功績を誇る
それは見苦しいことです
すばらしい功績であるほど
黙っておくことでしょう
その姿勢こそ
真の貴さであり
真の厳しさであり
本物の証
しかし、古今東西、自慢したい人はそこかしこにウヨウヨいます。
そういう人は
自分に注目してほしい
褒めてほしい
そのような稚拙な願望があるようです
世界を見渡しても
大統領や国家元首
その候補者などに
そういう小人が目立ちます
世界的な閉塞感は
トップの振舞いが原因と言っても
的は外していないでしょう
あらゆる組織において、長たる者がこんなレベルであれば残念な結果を招きます。
仮に組織が行き詰ったとしても、後始末を行って、きちんと清算できる人物こそが本当の長であるべきです。
そういう人の姿を見たとき、周囲の人は本物の姿、本物としての振舞いに気付かされるのです。
ところで
今日の教訓は
自らを誇ることのない
高貴な姿だけを表しているのではない
そう感じます
“ 俺が、俺が ” と自慢する人ばかりの組織が成り立たないのは明白です。
理想的な組織は、皆が目的を共有し、邁進している組織です。
“ 俺 ” ではなく、“ 皆 ” が共通した目的をもっており、加えて強固な協力体制が築かれている組織です。
たった一人が自己の功績をことさら自慢し、それがもとで上位に就くようなことになると、集団の力は大きく毀損します。
そうなる前に、より上位の長がその輩を戒められるか、それができるだけの人物か否かが、組織としての分岐点になるでしょう。
牽引者は、先頭に立って旗を振り、集団を鼓舞し、前進させることが求められます。
しかし、それを支える人たちが自己犠牲で要所を護らないと、その組織はまさに砂上の楼閣です。
孟之反のような行為を皆が当然のように行い、組織の長を始め周囲がそれを認識する。
そんな組織こそが、目立たなくとも最強、そして幸福な集団です。
翻って現代の日本社会、表面的な能力がどうやら高いらしい人材を高待遇で迎えるような、雇用の流動化を進めようとしているようです。
もちろん、硬直的な今の雇用体系が望ましいとは言いません。
しかし、“ 俺が、俺が ” という人間ばかり生み出しかねず、支える人の貢献を蔑ろにする悪影響も生じます。
それが働きがいや経済を良くしていくという判断でしょうが、その反面、人物としての質はますます劣化していくことでしょう。
現在の日本は
あらゆる階層において
人物の “ 小人化 ” が進んでいるようです
まるで人間の世界にも
エントロピーの法則(熱力学第二法則)
が働いているよう
危機はもはや足下です