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COLUMNSブログ「論語と算盤」

やすらぎ

2024年9月24日

民、威をおそれざれば、たい至る。其の居る所を狹しとする無かれ。其の生ずる所をいとう無かれ。夫れ惟だ厭わず、ここを以て厭われず。是を以て聖人は自ら知りて自らあらわさず。自ら愛して自ら貴しとせず。故に彼を去り此れを取る。〔民不畏威章第七十二〕

 (おかみの刑罰を恐れないものには、必ず天罰が下るであろう。

 出世にあくせくすることで、本来広々しているはずの自分の住まい、それを狭めてはならない。富、金銭など、形あるものに執着することで、本来長かるべき自分の運命を嫌がり縮めてはならない。

 自分の運命を嫌がらない。だからその人は、神々から、あるいは人々から嫌がられることがない。

 そういうわけで聖人は、自身道を悟りながら自分の知恵をひけらかそうとはしない。わが身を愛しながら、自分を貴しとはしない(むしろへりくだり、卑しい場所にいようとする)

 だから、もろもろの人のみずからの住まいを狭め、みずからの運命をいとう、そういう生き方を去って、この心の安らぎを得る道を選ぶのである。)

<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

ありのまま生きる

 

天から授かった命

それが本当の幸福

 

富や名声は追わず

 

 

 

 

そんな自分は他人と比べて劣っているのでしょうか。

 

決してそんなことはありません。

 

 

 

 

てんじょうてんゆい独尊どくそん

<釈尊>

 

 

 

一人ひとりには、それぞれ違う得手えてと知恵が授けられています。

 

そしてまた、不得手ふえての無い人などいません。

 

 

誰かの不得手を

 誰かの得手が穴埋めする

  お互いが穴埋めし合うこと

 

 

これが

“ 調和 ”

 

 

人は

 調和することでこそ

  種として最も望ましい

   せいの環境を創り上げられます

 

 

 

 

ありのままで生きること

それは日がな寝そべり

何もしない

そんな怠惰な生き方ではない

 

 

 

皆で調和して

より良く生きるための

環境を整えていく

 

その工夫や努力が欠かせません

 

 

 

自分の生い立ちや運命

 自分が存在するための

  それらの基盤を全て受け入れ

 

さらにそれを

 大切にしていくこと

 

そして

 見えない所で

  “ ありのまま ” の力で

    人々を救うこと

 

 

つまり

全ての人の調和を図ること

 

これこそが

ありのままで生きるということ

 

 

 

 

 

聖人は、なぜ表立って活躍しないのか

 

それは大多数の人々が “ 小人 ” だから

 

 

ありのままで生きる

 その幸福に至る知恵を

  正面から “ 小人 ” に

   授けようとしても

    理解されないのです

 

 

 

そんな “ 小人 ” が、お互いにいがみ合い、争い、非難し、口やかましく説教し、虐げる。

 

 

 

自分が

富や名声を得て長に立ちたい

 

そのためには

他人との調和という

大自然の時間軸に沿った行動がとれず

急ぎ拙速に戦いを仕掛ける

 

 

 

この世で救われるべきは、ありのままを大切に生きる人

 

その人の身の回りの環境を好転させるには、世の中に溢れる煩悩の種や汚れを取り払ってこそ

 

 

 

 

 

自分の本当の姿が見えますか

 

自分の心がけがれていては

自分の心の鏡には

まことの自分は現れません

 

心にこびりついた

様々な汚れを拭い去り

心の鏡に真の姿を写し出す

 

 

自分に与えられた天命

自分に与えられた環境

 

これらを厭うことなく

“ありのまま”を生きる

 

安らぎのある真の人生