精神爽奮すれば則ち百廃俱に興る。肢体怠弛すれば則ち百興俱に廃る。聖人の天下を治むるや、人心を鼓舞し士気を振作し、務めて天下の人をして含露の朝葉が如からしめ、久旱の午苗の如きを欲せず。〔治道〕
(精神が爽やかになって奮いたてば諸々の廃れたことが一斉に興る。手足・身体が怠り弛むと諸々の盛んなことも一斉に廃れてしまう。聖人が天下を治めるのをみると、人心を励まし勇ませ士気をふるいおこして、つとめて天下に人々をして露を含む朝の葉の如く生々とならしめ、久しい旱魃つづきの午後の苗のようにぐったりさせるようなことをしない。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
自分を成長、開花させる
人々を成長、開花させる
そのための骨
今日という日を喜んで迎え、溌剌と過ごすのなら、諸々の廃れたこと、後悔や杞憂、不健康さえ飛んで無くなってしまいます。
反対に、心や身体が弛んでいると、神経回路や筋力が弱まり、自らが廃れていきます。
前者のような心構えをいかにして得るか。
安岡師によると、「そういう書を読む、学問する、そういう趣味、芸術を持つ、そういう人と交わる」ということを考えなければいけないとのこと。
やはり、自分の感情や心に埋もれてしまっては駄目になるのでしょう。
感情に支配されることなく
意志で自分を起動させること
心を師にせず
心の師となること
それを奮い起こしてくれるのが書
それを身に染み込ませるのが芸術
それを具現化した姿が聖人、君子
聖人、君子を大きく捉えると、この世の中にも結構いるものです。
聖人、君子による政や組織運営では
人々の心が励まされ
士気が高まり
人物が育ちます。
組織に望まれる真の姿は、急成長や財の獲得ではないはずです。
業績を上げることを最善とし
そのような人材が登用される組織では
徐々に人心が殺伐としていき
足の引っ張り合いや派閥抗争で
朽ちていくもの
それらは
我々が洗脳された
アングロサクソン流の資本主義
実現すべき資本主義の神髄は
資本を上手に扱って活かし
世の中を良くする事業を行い
その結果で残った “ 糟粕 ” が
国への税や投資家に対する配当
つまり
資本家、世の中、運営者
この三者が共に良くなる循環
組織にとって望まれる真の姿は
世のためになる事業を
100年、200年、300年と
継続していくための
人物の創造に他なりません