知りて知らざるは上なり。知らずして知るは病なり。夫れ惟だ病を病とす、是を以て病まず。聖人は病まず。其の病を病とするを以て、是を以て病まず。〔知不知章第七十一〕
(ほんとうに知りながら知らないふりをする、これが貴い。逆に知ってもいないのに知ったふりをするのは、ひどい弊害である。知ったかぶりりの弊害を弊害と自覚するときは、その弊害がなくなる。
聖人には弊害というものがない。
なぜか。知ったかぶりの弊害を弊害と思うがゆえに、だからその弊害がなくなる。)
<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>
聖人の貴い行為
それは知らないふりをすること
この正反対に位置するのが
知らないのに
知っているふりをすること
いわゆる
知ったかぶりです。
知るということは、奥深いものです。
人と接するときは笑顔でいることが望ましいと教えられたとします。
表面だけを実践すると、“ 巧言令色鮮仁 ” となってしまいかねません。
経営を学ぼうと損益計算書の構造を教えてもらったとします。
わかった気になるものの、“ 利益を上げる勘所 ” がわかっていない人はたくさんいます。
部下と仲良くしようと友達感覚で迎合する管理職もいるようです。
“小善は大悪に似たり 大善は非情に似たり”
本質を捉えてこそ、“ 知っている ” となるのでしょう。
現在、国連加盟国の過半数が専制君主国家となっており、民主主義はすでに少数派になっているそうです。
そのため、専制国家の他国侵略や攻撃に対して、正面から反対する国々がなかなか増えません。
専制国家では、君主は自己満足のためにどんどん横暴になっていきます。
それは、決して自国民のためではありません。
自分が奉られたいためであり、それを批判する国民、あるいは都合の悪い隣国を攻撃するという構造です。
当然、いかに生きることが幸せにつながるのか、国民に示せる君主はいません。
宗教問題も根深く、一神教の国々では、自らの宗教にケチをつける他宗の人間を許そうとはしません。
宗教戦争の発火点は、世界中のそこかしこにあると言えます。
翻って我が国、日本は、世界中で三か国(日本、ギリシャ、インド)しかない多神教の地域だそうです。
また我が国は世界で唯一、“ 像 ” に神との接点を求めない宗教的立場・行動とのこと。
私たちは
いつでも
神がそばにいると
“ 感じて ” いるのです
“ お天道様は見ている ”
天空、宇宙、道
私たちを包む
大きな存在が
日本の “ 神 ” なのです
ここに
世界を迷いの戦いから
救い出すためのヒント
そして
日本人としての
役割が見いだせます
しかし現状、私たちは幼いころから知識ばかり詰め込まれてきており、“ 生を知る ” 機会を奪われてきています。
日本が人類を牽引する立場になることを快く思わない国、そういう自己中心の国々からの圧力が影響しています。
一方で、一国家が、 “ いかに生きることが幸せにつながるか ” を示し、それを国土全体に根付かせるのは確かに難しいと思われます。
いよいよ私たち人類は、国家という枠組みにこだわらない生き方を実践する時代になってきたのではないでしょうか。
世界中の人類、その一人ひとりとの対話、心のつながりを広げていくことこそが平和への突破口と感じます。
いま人類は
“ 生 ” の在り方について
本質を知っている人からの教えを待っている
この役割を担い
進めていくことが
全空間を “ 神 ” とする
私たち日本人の責務