大事・難事には担当を看る。逆境・順境には襟度を看る。臨喜・臨怒には涵養を看る。群行・群止には識見を看る。〔修身〕
(大事・難事に当たってはどれぐらいそれを担えるかを看る。順境・逆境に臨んではその度量をみる。喜ぶべく悲しむべき時に臨んではどれだけ涵養―ひたし養っておるかをみる。大ぜいの人間と一緒に行動したり休止したりする時にはその識見をみる。
みなわれわれの修養の資であり、また人物を観察するよい対象・基準であります。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
大きな仕事 難しい仕事
直面したとき、奮い立つ気概が必要です。
その気概が充分であれば、たとえ失敗してもそれは修養の一環
逆境、すべての人に訪れるでしょう。
その状況から脱しようと抵抗し、もがき、結果乗り越えられればそれで良いのです。
この難局を乗り切ってみせる、などと格好よく取り掛かってもうまくいきません。
しかし他方、抵抗し、もがいても駄目、万策尽きたというときに、やおらこのような大義が生きてくるものです。
順境は、処すのが難しい
順境は、必死で戦い、頑張っているときに、ふと気づくものです。
しかしそのときにはすでに、局面は下り坂になっています。
前進しながら修正を図っていかねばなりません。
喜びや怒りを感じたら、すぐに冷静さを取り戻すことです。
喜び-成功、結婚、子の誕生などの出来事は、体験しなければ実感できません。
怒り-裏切り、不条理、差別、傲慢、これらに初めて接したとき、なかなか冷静になれないものです。
年齢と体験を重ねることで得る知見が必要です。
集団内での行動
流されるか否かが分岐点
集団の力をうまく活かすには、本来の目的や到達点を明確に捉え、時間の経過を踏まえて全体像を充分に理解することが肝心です。
小さいころ、今は亡き父親に諭されました。
曰く
鶏口と為るも牛後と為る勿れ
<史記>
(大集団の末端に甘んじることは避け、小集団であったとしても長となるべきである)
この言葉は私の心に染み入り、以来、大事・難事、逆境、臨怒、群行・群止の場面で役立っていると感じます。
問題となるのは順境と臨喜。
“ 私は、「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えています。人間にとって、成功さえも試練なのです。
成功した結果、地位に驕り、名声に酔い、財におぼれ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのです。つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試しているのです。”
<引用:『稲盛和夫一日一言』 稲盛和夫著 致知出版社>
この心がけが不可欠です