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COLUMNSブログ「論語と算盤」

養生の味

2024年8月30日

人寿にんじゅにはおのずから天分有り。しかれども又おもう、「我がすなわち親の軀なり。我れ老親につかうるに、一はもって喜び、一は以ておそれたれば、すなわち我が老時も亦当またまさみずから以て喜懼きくすべし」と。養生の念はれよりおこる。〔晩二七四〕

(人の寿命には自ずから天の定めというものがある。しかし、またこうも思う。「自分の体は親からさずかったもので、親の身体も同然である。だから、自分が年老いた親に仕えて、一方では長寿を喜び、一方では老齢を心配するように、自分が年老いたときもまた、自分で自分の長寿を喜び、それを心配するべきである」と。養生の心はこうしたところから起きるのである。)

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

人生は太く短く

細く長くか

 

 

 

“ 長かろうが 短かろうが 我が人生に 悔いはなし ”

 

歌謡曲の歌詞にありました。

 

 

 

 

 

太く熱い日々を送る人生には多くの人が憧れ、小さく目立たない人生は余り好まれません。

 

若いころ、「俺は農耕民族的な生き方ではなく、狩猟民族のような生き方をしてくぞ」と、未来に挑戦しようとする意欲ある友人がいました。

 

 

私もそんなイメージの生き方に惹かれたものでした。

 

 

 

 

しかし還暦を迎えるにあたって、これらは表面上ハデに映りやすい景色でしかなく、大切なものは目に見えない心の中にあると感じています。

 

 

 

 

大器晩成

 

 

この言葉は、何回か用いてきました。

 

大きな器になるには、当然時間がかかるものです。

 

若くして “ 成った ” ように見えるのは、所詮小さい器でしかありません。

 

 

 

 

“ 私の課題は、私自身を成熟させることだ ”

 

<ライナー・マリア・リルケ(ドイツの詩人)>

 

 

 

この言に共感するのなら、長く生きるほどに課題の解決に近づくことができます。

 

 

 

 

 

 

今日の教訓

 

自分の身体は親から授かったもの

 だから

  親の長寿を喜びながら

   老いを心配するように

 

自分に対しても同じように

 長寿に感謝しつつ

  老いを気にかけること

 

これが養生の心

 

 

 

 

 

親子の縁とは、本当に感慨深いもの

 

 

 

 

そのご縁を大切にし

自分の身を養生する

 

そして自分を成熟させる

さらには大きな器にしてゆく

その過程を長く味わいたいものです