人寿には自ら天分有り。然れども又意う、「我が軀は即ち親の軀なり。我れ老親に事うるに、一は以て喜び、一は以て懼れたれば、則ち我が老時も亦当に自ら以て喜懼すべし」と。養生の念は此れより起る。〔晩二七四〕
(人の寿命には自ずから天の定めというものがある。しかし、またこうも思う。「自分の体は親から授かったもので、親の身体も同然である。だから、自分が年老いた親に仕えて、一方では長寿を喜び、一方では老齢を心配するように、自分が年老いたときもまた、自分で自分の長寿を喜び、それを心配するべきである」と。養生の心はこうしたところから起きるのである。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人生は太く短く
か
細く長くか
“ 長かろうが 短かろうが 我が人生に 悔いはなし ”
歌謡曲の歌詞にありました。
太く熱い日々を送る人生には多くの人が憧れ、小さく目立たない人生は余り好まれません。
若いころ、「俺は農耕民族的な生き方ではなく、狩猟民族のような生き方をしてくぞ」と、未来に挑戦しようとする意欲ある友人がいました。
私もそんなイメージの生き方に惹かれたものでした。
しかし還暦を迎えるにあたって、これらは表面上ハデに映りやすい景色でしかなく、大切なものは目に見えない心の中にあると感じています。
大器晩成
この言葉は、何回か用いてきました。
大きな器になるには、当然時間がかかるものです。
若くして “ 成った ” ように見えるのは、所詮小さい器でしかありません。
“ 私の課題は、私自身を成熟させることだ ”
<ライナー・マリア・リルケ(ドイツの詩人)>
この言に共感するのなら、長く生きるほどに課題の解決に近づくことができます。
今日の教訓
自分の身体は親から授かったもの
だから
親の長寿を喜びながら
老いを心配するように
自分に対しても同じように
長寿に感謝しつつ
老いを気にかけること
これが養生の心
親子の縁とは、本当に感慨深いもの
そのご縁を大切にし
自分の身を養生する
そして自分を成熟させる
さらには大きな器にしてゆく
その過程を長く味わいたいものです