冉求曰わく、子の道を説ばざるに非ず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は中道にして廢す。今女は畫れり。〔雍也第六〕
(冉求が言った。
「先生の説かれる道を喜ばないわけではありません。ただ何分にも私の力が足りないので行うことが出来ません」
先師が言われた。
「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。力の足らない者は中途でたおれるまでのことだ。今お前は、はじめから見切りをつけてやろうとしない。それではどうにも仕方がない」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
自分を見限る
意識せずに、知らず知らずにやってしまっているかもしれません。
この道は将来性がない
これをやってもトップに立つのは無理だろう
これについては自分の才能が無さすぎる
自分自身、数多くの見限りをしてきたことに気づきます。
高校生になったあたりから、自分の将来を漠然と考えるようになりました。
早く社会に出て、仕事という世界で大きく活躍したい
それと同時に、スポーツや芸術の面に対しては、人生を賭すまでの取り組みはできずに、見限ってきました。
大学生活も残り1年ほどのころ、上場企業の倒産を目の当たりにしました。
やがて、重厚長大産業の終焉、軽薄短小化、ソフト化経済の到来などと言われるようになり、誰もが先の読めない状況になっていきました。
このとき私は、会社という機構に自分の人生を委ねることを見限りました。
自分の命運を組織に預けることが不安だったのでしょう。
いずれにせよ、まずは仕事というものを知ろうと就職し、その後資格を身に付けようと考えました。
バブル崩壊後の1990年代中盤、幸いなことに就職した会社での仕事も充実し多忙な中、限られた時間での受験勉強にも集中できました。
そして1999年、30歳半ばで資格取得、翌2000年に独立しました。
こう書いてくると、鼻につく自慢話かと思われるかもしれません。
しかし私のこの選択には、自らの甘さが潜んでいたことにやがて気付かされます。
資格というものは「手段」であるはずですが、私の中では「目的」になっていたのです。
荒削りの情熱や血気、拙い分析と形だけの冷静さなどが、ない交ぜになった結果でしょう。
そのため資格取得後、精神的に路頭に迷うというか、大きな挫折を感じ、何も手につかない時期が続きました。
そこから何とか立ち直ることができ、その後やりがいや生きがいのある仕事に数多く出会えたことは幸せでした。
しかし今でも、自分が為すべき本当の仕事は何なのか、自分の進むべき “ 道 ” はどこにあるのか、常に考えて続けています。
朝聞夕死
(朝に道を聞く、夕に死する可なり)
<論語(里仁第四)>
心の底に横たわる
人生における命題です
ただ、見方を変えれば、その時々に必要な為すべきことを、死ぬまで自由に取り組んでいくことができるとも考えられます。
もしかすると
この虚空のような景色こそが
“ 道 ” なのかもしれません