兵を用うるに言有り。吾敢えて主爲らずして客爲り。敢えて寸を進まずして尺を退く。是を行く無きに行き、臂無きに攘い、敵無きに仍き、兵無きに執ると謂う。禍は敵を輕んずるより大なるは莫し。敵を輕んずれば、幾んど吾が寶を喪う。故に兵を抗げて相加うるときは、哀しむ者勝つ。
(兵家には、次のような諺がある。
自分は絶対に仕掛ける側にはならない。受け太刀の側になる。
進むときは一寸すらあえて進もうとしない。退くときは、簡単に一尺を退く。
こういうやり方を、前進しないことを前進とし、相手をなぐる気もない腕をまくり、敵を求めないことで相手を引き寄せる。そして手に武器をとらないことを武器とするという。
禍は、敵をばかにするよりはなはだしい禍はない。
敵を軽くみれば、おそらくはわが宝、つまり戦わずして勝つという宝をなくすであろう。
だから、両国が全軍をあげて相戦うときは、人殺しを哀しむ側が勝つであろう。)
<出典:『老子講義録 本田濟講述』読老會編 致知出版社>
戦わずして勝つ
一体何に対して勝つのか
かの時代には、領地の奪取等を目的として、各地で大小の争いごとが生じたのでしょう。
戦わずして勝つ
この言はいまでも様々な場面で用いられており、賢明な心構えとされています。
現在、フランスでオリンピックが行われています。
正真正銘、純粋な “ 勝負 ” の世界です。
自分の肉体の限界を極め、強化する
では経済戦争や領土獲得の紛争はどうでしょうか
自国の経済力や軍事力を強化する
今日の教訓のような “ 天道 ” に沿った戦い方は、現代ではほとんど見られません。
現代の争いは、“ パワー ” が中心になっています。
その “ パワー ” は、地球そのものを粉砕してしまう域に達しています。
この “ パワー競争 ” は、いずれ衝突を生み出してしまうでしょう。
柔よく剛を制す
争いは、智恵や工夫で何とか避けねばなりません。
しかし、避けられない衝突も生じるでしょう。
そのときにも、やはり、知恵と工夫で勝たねばなりません。
・・・
一体何のために勝とうとするのか
私たち人類には
遠きを計る賢明さ
それが求められています