貧羞づるに足らず。羞づべきは是れ貧にして志なきなり。賎悪むに足らず。悪むべきは是れ賎しうして能なきなり。老歎くに足らず。歎くべきは是れ老いて而して虚生するなり。死悲しむに足らず。悲しむべきは是れ死して聞くなきなり。
(貧乏だからといって別に羞ずるに足らない。羞ずべきは貧乏に負けて志をなくすことである。地位や身分が卑しいからといってこれを悪むに足らない。悪むべきはそのために何の能力もないということである。年をとったからといって歎くに足らない。歎くべきは老いて虚しく生きることである。死は悲しむに足らぬが、悲しむべきは死ぬことによって道を聞くことができなくなることである。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
貧乏なこと
地位や身分が低いこと
年をとったこと
死ぬこと
これらは自分が置かれた環境であって、すき好んで選んだものではありません。
受け入れねばならぬもの
だからあっさり受け入れて、そこから始めることが大事です。
自分でコントロールできない事柄を気にしていても、何も生み出せません。
大切なことは
“ なすべきこと ”
をきちんと行っていくこと
自らの使命
社会への貢献
不遇な人々の救済
・・・
周囲から影響を受けて好きになった事柄、それを行うことではありません。
心の奥から突き上げてくる
気づき
魂の声
自分の “ なすべきこと ”
それに気づくことが大切です。
それを成すためには、 “ 自らの日々を積み重ねていく ” ことです。
一方で
多くの人は
「他人と自分を比較する泥沼」
にはまりやすいもの
自分よりも貧乏な生い立ちの人、自分よりも低い地位の人、そんな人が立派に堂々と生き抜いている姿を見てどう思うか。
「あの人は違うから」と
見ないようにする
「どうせズルいことやってんだろ」と
心の中でねじ伏せる
これらの感情は
自分と比べると分が悪い
だから都合よく解釈をしてしまえ
という捻じれた思いから出ています
そうでなく
「そうか。私も輝くことができるんだ」
「私のなすべきことはこれなのだ」
と気づくことができれば
その人の未来は確かに
輝くものになるでしょう
自分の置かれた環境を嘆いて
心が朽ちるにまかせてしまうのか
では問うが
何のために生きるのか
何かの “ ため ” に
生きることによって
強く
美しく
愛おしい
人生を創り上げることができる
人は、人として生まれてきた本当の意味を知るために、大宇宙の原理原則を知るために、生きているのでしょう。
今日の言葉、最後の一文について、安岡師は論語の「朝聞道夕死可矣」を取り上げています。
「普通は “ 朝に道を聞け(か)ば夕に死すとも可なり ” と読むのですけれども、それでは少し物足りない。経験の浅い子供や若者にはよくわかるが、あるところまでいった人はやっぱり “ 朝に道を聞く、夕に死する可なり ” と読む方がはるかに切実であります。あるいは “ 朝聞夕死 ” と音で読んでもよく意味がわかると思います」とのこと。
この極に至るまで
自らを磨き続けねばなりません