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COLUMNSブログ「論語と算盤」

志と善知識

2023年12月12日

顔淵がんえん季路侍きろじす。のたまわく、なん各々おのおのなんじこころざしを言わざる。子路しろわく、願わくはしゃ馬衣ばいけいきゅう朋友ほうゆうと共にし、これやぶりてもうらむことからん。顔淵わく、願わくはぜんほこること無く、ろうほどこすこと無からん。子路わく、願わくは子の志を聞かん。子のたまわく、老者ろうしゃこれやすんじ、朋友は之を信じ、しょうしゃは之をなつけん。

(顔淵と季路(子路)が先師のそばに待っていた。

 先師が話しかけられた。

 「どうだ、めいめい自分の理想を話し合ってみないかね」

 子路が言った。

 「立派な馬や車、衣装や毛皮を友と共に使って、やぶれても惜しいと思わないようにありたいものです」

 顔淵が言った。

 「善い行いをしても人にほこることなく、骨の折れる事を人におしつけることのないようにありたいものです」

 子路が先師に「先生のお志もお伺いしたいものですね」と言った。

先師が言われた。

「年寄り達の心を安らかにし、友達とは信をもって交わり、若者には、親しみなつかれるような人間になりたいね」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

先日、仏教のぜんしきという言葉に触れました。

 

ここでいう “ 知識 ” とは、友人や知人を意味しています。

 

 

人には三つの善知識が必要とされ、それは人を真実の生き方へと導き、支え、励まし、応援してくれる人たちをさすとのこと。

 

一、先達せんだつの善知識・・・先師

二、同行どうこうの善知識・・・一緒に働く仲間

三、外護げごの善知識・・・外から応援してくれる人

(出所:月刊『致知』二〇二四年一月号 特集「人生の大事」)

 

 

“ 先達の善知識 ” は、生きる方向を照らしてくれる先人、先哲の知恵です。

 

“ 同行の善知識 ” は、一人ひとりの力は小さくても、同じこころざしのもと、力を合わせて未来を切り開いていく仲間です。

 

“ 外護の善知識 ” は、自分を頼ってくれる人、仕事を依頼してくれる人たちとも言えます。

 

 

この三つの善知識に

助けられ

まれ

鍛えられ

 

それがより良い生き方に

つながっていくのでしょう

 

 

 

 

今日の言葉は

この三つの善知識に

合致するようです

 

 

孔子は、戦国の世を終わらせて、平和で安寧あんねいな世を生み出すために、各国の君主の振舞いや考え方を反面教師として知恵を高めていったはずです。

それらの知恵は、厳しい世を生き抜いてきた「年寄りの心を安らかにする」ことでしょう。

 

また、弟子と共に学び教えてきたからこそ、偉大なる『論語』ができ上りました。

何千年も経った後でさえ、世の人たちに大事な教えを与えてくれます。

 

そして、「若者から慕われる」人物になりたいとは、外護の善知識を求める気持ちから生じたものと感じます。

 

 

 

善知識は

 

人生をしっかり生きるための要諦なのですね

 

 

 

この三つの善知識を得られないとき、つまりそういう人々を遠ざけたり対立したりしたとき、どうなるか考えてみてください。

 

 

それは決して

活き活きとした人生ではないはずです

 

暗く沈み

よどんだ空気に覆われてしまいそうです

 

 

 

 

どんな人にの人生にも逆境はあらわれます。

 

二宮金次郎も、幼少時から何度も何度も、歩んだ一分一秒に対して、様々な障害が立ちはだかりました。

 

それを乗り越えられたのは、三つの善知識ではなかったかと感じ入ります。

 

 

 

金次郎は

「あらゆる荒廃は、人間の心のこうから起こる」

と言います。

 

 

 

 

今日の言葉のように

ありたい自分やなりたい自分を

志・理想として掲げ

日々それを確認し

真っ直ぐに進んでいく

 

 

先達の知恵を存分に用い

同志とともに

周囲に良い影響を与えていく

 

 

そのために努力し続ける

 

そういう人生にしていきたいものです