腐儒の迂説、曲士の拘談、俗子の庸識、躁人の浅見、譎者の異言、憸夫の邪言は皆事の賊なり。謀断家の忌む所なり。
(腐儒の迂説 ― 腐れ儒者の、現実にぴったりしない廻りくどい説。曲士の拘談 ― 一部のことしか知らぬ人間の拘泥した話。俗子の庸識 ― ありきたりの世俗のことしかわからぬ人間、本当のことがわからぬ人間の凡庸な知識、物の見方。躁人の浅見 ― がさがさした落着きのない人間の浅はかな考え。譎者の異言 ― 人をいつわりあざむくような人間の目先の違った言葉。憸夫の邪言 ― 心がねじけて媚びへつらう人間のよこしまな語。およそ以上のようなものはみな事をやぶる賊であって、本当に物事を謀ってぴしっぴしっと断定していく人の忌むところである。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
相当の厳しさを感じさせる言葉です。
ただし、言葉を弄して事を破る賊
それを選別することは大事です。
時代を遡るほど、人々の口数は少なくなるものです。
ただし、それは決して知識が少ないからではありません。
もちろん、情報は今と比べると格段に少ないでしょうが。
では、口数が少ないのはなぜ
それは「事を破る賊の言葉」に敏感だからでしょう。
過去の時代は情報が少ない分、己との対話の時間が持てたはずです。
だからこそ、いかに生きるか、いかに人と交際するか、いかに人道を整えるか、深く考え真理に近づけたのでしょう。
しかし今の時代、情報が増し、意味のない知識や悪知恵さえ日々眼前を飛び交っている有様です。
私たちはそういう世の中を生きています。
そんな世の中だから、残念な場面も目に入ります。
古典の言葉を用い
自らの主張や手法を正当化しようとする
その古典の言葉の解釈に深い理解はなく
自分の考えに都合の良いように
転用しているだけ
~ 曲士の拘談 ~
浅薄な言葉を繋いで
口角泡を飛ばさんばかりにしゃべり倒す
語りの文章に句点が付かず
考えがまとまっていない
~ 躁人の浅見 ~
現代における「事を破る賊」
それは溢れる情報に溺れ
社会を傷つけ乱す言動
それに比べると
過去の寡黙な時代の方が
ずっと意義深く
人間が練られ
美しく
強く
天道・自然と同化して
生きられたのでしょう
今日の言の最後にあった「本当に物事を謀って断定できる人」、二宮尊徳(金次郎)翁が真っ先に脳裏に浮かびます。
翁の、シンプルで核心を突く仕法を記します。
「富の道を行えば必ず富むし、貧の道を行えば必ず貧乏する。
ただ村民の行いによって禍福吉凶の差が生じてくるのだ。」
貧の道とは
労苦をいとい
怠惰を旨とし
働かずに米や金を
むさぼり取ろうとすること
富の道とは
節倹によってむだな費えをはぶき
余財を産み出して
ひとの艱苦を救い
おのおの家業を勉励し
労苦を刻み
終身善を踏み行って
悪行をせず
勤め働いて
一家を全うすること
(出所:『報徳記』富田高慶・原著 佐々井典比古・訳注 致知出版社)
真理を捉え
富の道を断定し
生きていきたいものです