明者は人の避くる所を料り、而して狡者は人の料る所を避く。是を以て相ともに是れ本質を賊うて而して奸偽を長ずるなり。是を以て君子は寧ろ人の疑を犯すも、而も己れの心を賊はず。〔存心〕
(頭の良い人間は避けるところばかりを考え、悪賢い人間は人のはかるところを避ける。こう考えるだろうと思ってごまかすわけです。このように明者も狡者も共に自己の真実をそこなってますます奸偽を増長させていくのである。
奸偽の奸が女偏になっておるのは女の方に気の毒ですが、これは旁の干に意味があってもとめるという意味で、即ちよくないもとめ方が奸です。偽は人為の悪いこと、この奸偽が増長して酷くなるとしばしば問題となる悪徳代議士のようなことになるわけです。
そこで「是を以て君子は…」、人の疑いを犯しても己の本心をそこなうことをしない、あくまでも自分の本心を守っていく。人間はやっぱりそういう風にならなければいけません。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
人間の本来のあり方
それをしっかり捉えておく
今日の言葉は、特に背筋の伸びる言葉です。
冒頭の二種の人間は、いずれも難を避けて、ずるいことをしてでも、楽に、得になるように進もうとします。
明者、訳では頭の良い人間とされていますが、頭が良いことだけを活かして生きると、どうやら小さくセコくなるようです。
その姿は多くの人に見透かされ、みっともない姿を世間に晒すことになります。
一方、悪賢い者は、人目の多いところを避けて、陰で、得や楽を貪ろうとするのです。
こちらはみっともないどころか、その人生自体が害となり恥となるでしょう。
両者に共通するのは、頭で動いており、腹がないということです。
古の偉人は
聡明で頭を正しく使い
さらに腹が美しかったものです。
二宮尊徳、西郷南洲、渋澤栄一・・・
現代、このような頭が良くて腹が美しい人物を見つけることは困難です。
昨今の頭の良い者は、自分の富や楽を追求するだけで、難を避けようと、狡いことも意に介さずやってしまう、そんな輩ばかりです。
悪賢い者は、その心の悪をますます増長させているようで、人々の生活や文化を破壊しています。
このままでは、私たちは決して良くなりません。
そしてこの国はますます傷んでいくのでしょう。
世界を見ても状況は同じ
人類全体が堕していくしかありません。
そうならないようにと、古の哲人が教訓を残してくれている、それが良書としての古典です。
にもかかわらず、その教訓を活かせず、逆に消し去ろうとするような風潮も見られます。
それほどまでに邪悪の力は強いのです。
これに勝るには
今を生きる私たち一人一人が
努力と忍耐で知識と見識を高め
濁りそうな腹を古典の知恵で洗い流し
天から与えられた己の本心
これを損なわず守って生きる
それを実践せねばなりません
こつこつと
それは後世のために