志、人の上に出ずるは、倨傲の想に非ず。身、人後に甘んずるは、萎苶の陋に非ず。
(志が人よりも高いところにあるというのは、決して傲慢な思いではない。
自分の身を持するのに人の後ろにあるというのは、謙虚な態度であって萎縮した態度ではない。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
「志」とは何でしょう。
自分の成長、自己実現、貧困や障がいの克服、社会・文化の発展、幸福の増大、平和の維持・・・、
広くは、SDGsにつながるような内容も含まれるでしょう。
一方、明治維新のころの気構えや、クラーク博士の「少年よ大志を抱け」など、
少々古い時代のことと感じる人もいるかもしれません。
ただし、「志」を持てるということは、幸せなことです。
自由な社会、民主的な社会であるからこそ、あらゆるものを良くしようと、
自由な発想で活動することが可能なのです。
周知のように、共産党の独裁体制下にある中国では、党の意向に沿った志しか持てません。
北朝鮮においては言わずもがなです。
この世を良くするための自由な発想や取り組みが許されない社会、
つまり「志」が持てない社会は、まさしく不幸です。
いまの日本は志を持って生きることができる社会です。
「志」の実現に邁進できる自由さ、その「権利」を私たちは持っています。
そして、「権利」と表裏一体の「義務」も課せられることになります。
佐藤一斎が生きた江戸時代に比べると、私たちは多くの情報を得られます。
このような現代こそ、たくさんの人が、高い志を持って、その実現に邁進することで、
日本や世界、社会全体を良くしていくことが「義務」になるでしょう。
欧米の基本的道徳観に「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という言葉があります。
高貴な者(裕福な人や高い地位の人)には、それに応じた社会的な責任や義務があるという意味です。
小さな組織であっても長は長、会社なら社長のみならず、係長や課長職も高い地位です。
何を「志」として責任や義務を果たしていくか・・・。
よくよく考えて、心して取り組めば、状況を良くすることは可能なはずです。
高い志を持って、少しずつでも実践し、そして謙虚な姿勢でいること、
このあり方自体が幸せなのであり、そしてまた明日の幸せにつながってゆくのです。