形迹の嫌は、口舌を以て弁ずべからず。无妄の災は、智術を以て免るべからず。一誠字を把って以て槌子と為すに如くは莫し。〔晩録二三五〕
(態度や言動について嫌疑を受けたときには、口先で弁解しても効果がない。思い当たる節もなく受ける禍は、智慧を用いても免れることはできない。ただ誠の一字を槌のように振るって、嫌疑を晴らす以外に方法はないのである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人の生き方の王道です。
嫌疑や禍を受けたとき、周囲に一所懸命弁明してもそれが晴れることはないでしょう。
逆に、小ざかしい振る舞いに映りかねません。
もし、その嫌疑が事実であれば嘘で取り繕う行為です。
周囲の人はその危険性を感じますから、弁明を全面的には信用しません。
このことから、完全な濡れ衣であったとしても、弁明することでかえって疑いが深まりかねません。
嫌疑をかけられると困りますが、だからと言って慌てて弁明するようなことは避けるべきです。
こういう時こそ、自らが常日頃考えてきた正しい思いや行い、善行、正義を淡々と行っていくのです。
見ている人は見ている
真摯な態度が伝われば、嫌疑は徐々にはがれ落ち、やがてきれいサッパリ晴れるでしょう。
また、それが事実としても、周囲はその意図や理由について深く考えることになります。
嫌疑をかけられることになった事案でも、英断と認められることはたくさんあります。
心と心がつながるか、信用できるか、信頼できるか、これらは人間社会を成立させる肝です。
そして、一人一人の全体を観察することや人物像を把握することは、円滑な人間関係、人間社会を生み出すに必要な心がけです。
メールやsnsで、行き違いや感情的な問題が生じる原因はここにあるのでしょう。
活字だけでは人物そのものが見えないのですから。
正しい行為、誠の心で対処しようとしても、活字ではまず伝わりません。
印字された手紙、例えば年賀状などは徐々に少なくなってきています。
惰性や社交辞令、そして印字された手紙となると、廃れるのは尤なことです。
直筆で書いた手紙なら真意や思いが伝わりやすくなるでしょう。
チャットGPTやアバタ―なども、様々な人間関係上の問題を生み出しそうです。
自分の全身で
自己の全てで生き抜く
個としての自身を磨き
社会の風雪に耐え抜く
絶対的存在としての
自己を深め
そして高める