反は道の動。弱は道の用。天下の物は有より生ず。有は無より生ず。〔反者道之動章第四十〕
(もとの所に復帰するというのが、道の動き方。それから強いということを貴ぶのではなくて、弱い状態、これこそが道の真の作用である。
天下の物は有から生じた。その有はどこから生じたかというと、それは無から生じた。偉大なる虚無から生じた。
そこであらゆる人間の生き方も、そういう弱い、あるいは無、そういった状態を貴しとする。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
老子の中では、極端に短文です。
ただし、老子の哲学の図式的な要約とのことです。
後段にあるように、あらゆるものは、有から進化、発展、派生して生まれます。
ただし、その大元に遡ると、まずは無から有が生じています。
現代の物理学でも、宇宙は130億年ほど前のインフレーション、それに続くビッグバンによって生じ、現在でも広がり続けているという考えです。
インフレーションの前、それは「無」の状態であったと考えるしかありません。
そして、生命というものは無から生じたと考えるほかありません。
無から生じた量子の働きにより、生命体として、地球という場所に生じたのです。
無から、有は生じるのです。
物理的、確率的には、地球に生命が生じたのなら、宇宙中に生命が生じなければ辻褄が合いません。
地球にだけこんなに多くの生命が存在することは奇跡である、ということで片付けられますか。
神学的にみれば、神様が何らかの理由で宇宙と地球を、意図的に作ったのだろうと感じざるを得ません。
前段の冒頭の「反」とは、元へ帰る、静か、という意味だそうです。
静かという状態は、動きがそこから生じる、つまり動きの起点となります。
易経でいう「艮」、物の終わり、そして物の始めを成す状態です。
静かな状態から動きが生じ、弱いものは徐々に強くなります。
しかし、いつまでも動き続け、強さを発揮することはできません。
やがてポキリと折れ、原点に還らざるを得なくなります。
そしてまた、そこから始まるのです。
このようなことから老子は、積極より消極、強さより弱さ、動より静、効用や手柄は他者のものとして振る舞う、これらが貴いことだと言おうとしています。
迷ったり、悩んだりしたら、
静かなところに立ち返りましょう。
弱い自分を認識しましょう。
低い場所に身を置きましょう。
そこからしか、次の始まりはないのです。
そこから、生きている喜びを感じられるでしょう。
そこから、生きる力が湧いてくるでしょう。
そこから、この世の広大な景色が見えるでしょう。
肉体という物質はやがて朽ちます。
それに対して精神はいつまでも成長できます。
古の先人の知恵を活かし
摩訶不思議なこの宇宙での人生を実らせる
これこそ、知恵を授けてくれた先人への恩返しです。