道の常は爲す無くして爲さざる無し。候王若し能く守らば、萬物將に自ずから化せんとす。化して作らんと欲すれば、吾將に鎭むるに無名の樸を以てせんとす。無名の樸、亦た將不欲なり。不欲以て靜かなれば、天下將に自ずから正しからんとす。
(道という偉大なるもの、老子のもっとも大切とする道の常のあり方、これは自分からは何もしないのだけれども、実はあらゆることをしている。
諸侯や王者が、もしこの道の常を守ることができれば、万物はこの無為の道の感化によって、それぞれの生成を遂げるであろう。
しかしながら、そのあと万物がさらに紛々たる千変万化をして、いっせいにそれぞれ勝手な働きをしようとするとき、候王たる私は、まだなんにも名前のついていない粗木のままの状態をもってきて、これを鎮めようとする。
その名前を持たない粗木のままの状態というのは、言い換えればやはり無欲ということにほかならない。
自分が無欲であって、その結果、心静かに恬淡としていると、治められる天下のほうも、自ずから正しくなるであろう。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
“道”は何も為さないが、大いなる働きをする。
それは、万物が勝手な動きを取り始めたら、“道”が無為無欲な粗木でもってこれを鎮めることである。
国になぞらえるなら、例えば王が無為無欲であるのなら、人々は生を全うできるし、国もうまくゆく。
世が乱れてきたときには、王が無為無欲で処すことによって、自ずから天下が正されることになる。
組織が乱れてくると、自分の身を守ろうと一人一人が自己中心的な振る舞いになっていくものです。
そして、それがさらなる混乱を招きます。
こんなとき、組織の長が無欲な姿勢でその組織の“道”を改めて明らかにすることができれば、混乱を落ち着かせることができるでしょう。
組織の“道”とは
その組織の存在意義を示した
経営理念、組織の目的、果たすべき使命
近年は、組織の長にまず欲が出てしまい、混乱の源になっているというケースも少なからず見受けられます。
長というものは、弁を弄して得を優先するようなことばかりに注力するようでは心もとない。
深い視点と意識で、人々の働きを見守り、創意工夫を発現させ、経営理念、目的、使命を果たすことこそが最優先すべき取り組みです。
“貞観政要”には、唐朝の第二代皇帝である太宗(李世民)が、善政を敷くために側近に諫言を求め、またそれに従うことによって、シナ史上最高の名君となった要諦が記されています。※1
これはまさに、“道”を守るために欠かせない取り組みといえます。
かようの如く、独力で名君になることは困難なのです。
自身だけでは見えてこない国を統治する要諦
皇帝は統治者のあるべき姿について側近に問う
それをもとに発する命
その責任は皇帝に帰する
側近は世の隅々まで観察し
時の流れを感じ取り
今後を洞察した上で
考え抜いて諫言をする
長と補佐役
日々お互いの真剣勝負
お互いは一心同体
長の役に立たねば側近はそこまで
賢明な側近がいなければ
長は乱れる世から吊し上げられる
組織を率いる者は自らの欲を棄て去らねばなりません。
そして、信頼できる者と一触即発の切磋琢磨を自らに課すのです。
「動機善なりや 私心なかりしか」
稲盛和夫(京セラ元名誉会長)
※1「貞観政要」・・・唐の太宗・李世民と臣下との問答や議論を集大成した書物。
帝王学の教科書として読み継がれてきた、上に立つ者の必読書。