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COLUMNSブログ「論語と算盤」

司るもの

2022年11月11日

真孝しんこうは孝を忘る。念念れ孝なり。しんちゅうは忠を忘る。念念是れ忠なり。〔晩録二二七〕

(真の孝行とは、自分が孝行していると殊更ことさらに意識しないものである。つまり、思うことがすべて孝行なのである。真の忠義とは、自分が忠義であると殊更に意識しないものである。思うことがすべて忠義なのである。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

真の孝行あるいは忠義とは

いま感じることや考えていることの全てが

孝行や忠義に沿ったものになっている状態とのこと

 

 

極論すると、その人の存在自体が孝行や忠義そのものであるということでしょう。

 

一息の呼吸でさえ信念に基づくものになったとき、人間というものが出来上がるのだと感じます。

 

 

実現したい夢、その夢の実現のために存在するという境地に至れたならば、間違いなくその夢は実現するでしょう。

 

その思いと、一寸違いっすんたがわず、完全に同化することです。

 

 

 

道元どうげん(鎌倉時代の禅僧ぜんそう、日本の曹洞そうとうしゅうの開祖)は、仏道を学ぶ人は自分の身も心も一物も残さず、全て投げ棄てて仏法という大海に振り向けることとのこと。※1

 

 

エジソンは、十五歳でデトロイト公共図書館の会員になり、館の蔵書を全て読み、そしてそこから学んだこと全てを実験して、自分で確認したそうです。

 

その信念が、何万回もの実験に挑む原動力となり、千三百におよぶ発明につながったのでしょう。

 

また、「狙いのない試行錯誤はしない」という言こそ、真の挑戦に欠かせない心と身体の構えではなかったかと感じます。※2

 

 

世界で初めて破傷風の原因を突き止め、それをもとに血清療法を確立した北里柴三郎は、人に熱と誠があれば何事でも達成するとのこと。

 

そして、世の中は行き詰ることなどなく、もし行き詰ったものがあるのなら、それは熱と誠が不足している本人自身の行き詰まりであるとのことです。※2

 

 

 

 

全ては自分次第

 

頭から飛び込んでいってこそ掴めるもの

 

 

これこそ人間を完成させる要諦ようていではないでしょうか

 

 

 

 

私たち一人一人は、偉人のような生き様は残せないかもしれません。

 

ただ、日々の考えや行動、判断、選択、そして一呼吸でさえ、私たちの生をつかさどる何かが底流にあると感じます。

 

それは私たちを生み出した天の思いではないでしょうか。

 

翻ってそれは天に対する私たちの忠義となり、私はそれを“良心”と捉えます。

 

 

真の良心とは

殊更に意識するものではなく

思うことすべてが良心となること

 

 

 

※1「道元一日一言」大谷哲夫編 致知出版社 六月二十四日より引用

※2「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」藤尾秀昭編 致知出版社 七月八日、九日より引用