凡そ事は似るを嫌って真を誤ること勿れ。名に拘りて実を失うこと勿れ。偏を執って全を害すること勿れ。〔晩録二二四〕
(何事も、人を真似るのを嫌って真実を見誤ってはいけない。名前にこだわって実質を失ってはならない。偏ったことに執着して、全体を損なうことがあってはならない。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人の真似をすること
芸事もそうでしょうが、仕事のやり方や人との接し方においても大事なことです。
「あのような伝え方なら相手の理解も深まるものだ」とか、「笑顔で挨拶すれば相手も応じてくれる」ということに気づいたときに、その語り口や態度を真似るわけです。
このような真似は、真の目的のために行うことであり、自らを白紙にして行うことです。
より良い状況を生み出すためには何をなすべきか、この問いに対する効果的な振る舞いを真似るわけです。
ただし、振る舞いにこだわり過ぎて、全体の調和を崩してしまっては元も子もありません。
面構えは厳しいまま言葉だけ優しくしても、共感されることはなく、真の目的は果たせません。
技術の面からでは、「なぜそこから始めるのか」、「なぜここでそれを使うのか」というような疑問が生じた場合、真似てみることでその理由がわかることもあるでしょう。
これも、目的を成すために、目的のものを創り上げるために、欠かせない行為や技であることを認識して行うことが大事であり、ただ形式を真似るだけなら、文字通り猿真似で終わります。
名前、名称、家柄、社名、役職名、肩書、これらに必要以上にこだわってはいけません。
それらにすり寄る行為は、まさに「小人は同じて和せず」の入り口をくぐることになります。
本質を見定めて判断することです。
あなたの地位が高いのなら、自分の名称と自分の本質が合致しているかを自らに問うこと、また合致させるために努力と工夫を重ねることが求められます。
そして、合致していない、させられない、というのなら、その名を脱ぎ捨て別の衣をまとうことです。
全ては自分の心の深奥部分にある
「素の思い」に従うことです
財産、地位、名誉、評判などは雑音であり、「素の思い」を覆い隠す常識的、平均的意識です。
これら「外なる心」の雑音に惑わされることなく、奥のさらに奥にある「内なる心」、すなわち「素の思い」を捉えましょう。
他者の振る舞い、師匠の技、名称、これらはあなたの「素の思い」を発現させるためのきっかけやヒントとして、天がそこかしこで見せてくれているものです。
それを取捨選択するのはあなたです。
もとより正解の設計図などはありません。
そして時間はある程度かかるものです。
「素の思い」を発現させるために
必要なものを真似て
身に付けていく
「素の思い」こそが
この生で求めていること